チベット仏教寺院。デパート。ザヘサンの丘。ボブトハーン宮殿。GOBIコーポレーション。ゲルキャンプに宿泊。

朝、ホテルで民主党文教族の斉藤九州男先生と名刺交換。福岡県直方の人。

貧しい人たちのゲル地区は山の方にも広がっている。国民の90%はチベット仏教を信仰している。

最初はカンダン寺を訪問する。この寺は1838年に活仏ボグド・ハーン5世によって建立されたチベット仏教寺院。1937年には破壊されたが、1940年に再建された。民主化以降は民族文化再興運動の中で、文化運動の中心的存在となっている。 仏教大学が併設されている。

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歩道の中では20人程の僧侶たちが今日は出ている。子供もいる。子供たちは僧侶の真似事をしているが、よく見るとスマホをいじっている。

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観音堂では27メートルの高さの大観音像が立っている。盲目となったボクド・ハーン8世の治癒を祈願した開眼観音。初代観音はスターリンによって破壊され持ち去られた。最初は坐像だったが作り直して、1,996年に再建された。この観音像はモンゴル人を見守っているとのこと。若いダライ・ラマの写真もあった。2,000の阿弥陀如来像もある。それぞれ顔が違う。観音像を右回りに回っていく。この中でも料金払うと写真撮影ができるとのこと。現在は昔の時代で、将来は阿弥陀如来の時代が来ると言う世界観だ。

この国では子供たちは仏教の学校に行く。小学校からの小学校からの義務教育は日本と同じ12年。卒業後は、そのまま進むか、普通の学校へ行くか本人に任されている。この学校で宗教教育が行われる。どの国も宗教によって、生き方や道徳を学ぶ。宗教教育がない日本はどこで教えるのか、という問いがある。・

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大型のデパート行く。ここではボールペンを日本買う。2本で1000円は高い。品質はよくない。

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本屋を覗く。ダライ・ラマの伝記を見かけた。モンゴルの人についての伝記も多いようだ。リンカーン、レーニン、毛沢東などの伝記が目についた。

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ベストセラー。世界の政治家の本が6位、7位はリー・クワンユー。

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商品はやはり垢抜けない。

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ザヘサンの丘。市内が一望できる。

ボグド・ハーン宮殿博物館。

最後の仏ボグド・ハーンが最後の20年を過ごした宮殿。

屋根が緑色に吹かれているとても綺麗だ。濃い緑と薄い緑色と。ここは政治と仏教の指導者の舞台となった。寺院の内部には曼荼羅仏教美術を集めた博物館となっている。中央アジアミケランジェロ。趣味はトラやライオンなど動物の剥製の収集であった。

門外には2階建てのロシア式の冬の宮殿があり、ゆかりの品々が多数展示されている。

モンゴル人の平均給与は4万円。物価は上昇中。男女同賃金。遊牧民の子供は都心の寮にはいる。モンゴルでは25歳から40歳が60/-70%。若い人が多い。平均寿命は65-70歳。冬は火力発電なのでスモッグがひどい。ガソリン1リットル70円。ロシアから輸入している。

山の手のマンションは高い。一戸建ちの庭にもゲル、屋上にもゲル。マンション地区は槌音が高い。車は右側通行。5つの火力発電所で、秋から春まではお湯のセントラルヒーティング。地下鉄はない。

 遊牧民は人口の30%程度であり、だんだん減ってきている。財産である家畜は自然の賜物でありなかなか管理が難しいこと、そして勉強のために海外に出る人が多いことなどが原因だ。親は都会のサラリーマンや、医者にしたい。

GOBIコーポレーションに到着。

ヤギの毛を手で選別するところから始まってすべての工程を見学できた。山羊一頭から最終的には250グラムのカシミヤしか取れないから高いのだ。この工場は

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日本のODA援助によってできた企業。1700人の従業員がいて、売上高は日本円で40億円。

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 工場長月のショップを見学する。輸出は4割、観光客4割、モンゴル人向け2割。エアロビックアジア大会があったようでベトナム、韓国、インド、イラン、日本などの子供たちが多く来ていた。

 ショップ内で行われたファッションショーに見入る人たち。金先生の姿も。

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 庶民用のスーパー。

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 宿泊するゲルキャンプに到着。

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 ゲル内部。

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夕食は大型のレストランゲルで歓談。

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 「名言との対話」9月17日。塚本幸一「リーダーというものは、下に対して俺を信頼しろというのではなく、まず自らが下を信頼すること。すべてはそこからはじまります」

 塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)は日本実業家ワコール創業者。 

 第二次大戦でインパール作戦などに従軍した。復員後、ワコールの前身 和江(わこう)商事を設立し婦人用アクセサリー卸業を開始する。ワコールに社名変更し婦人用下着を主力商品とし、日本トップクラスの女性アパレルメーカーに育てた。京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、財団法人地域活性化センター理事長などを財界の重鎮となった。

塚本幸一の原点は大東亜戦争だった。地獄のインパール作戦。食料も弾薬も尽き、敗走に敗走を重ねる日々。戦死、病死、自殺、ゲリラや土民に殺される。毎日、戦友たちが死んで行く。復員船では「自分は生かされている」と信じるようになった。そして「これからの人生は52名の戦友に代わって、世の中のために生きていく」と決心している。一度死んだ体であり、地獄の白骨街道を生き延びた自分には戦友の魂が宿っていると信じ、商売の決死隊となった。「この世に難関などない。難関というのはあくまでも本人の主観の問題である。難関だと思っている自分があるだけだ」と仕事に邁進した。

甲州商人は大きな名刺を作り、いろいろと肩書きをつけて、『ハッタリ商法』をやるが、江州商人は、コツコツと汗と努力で築いていくと言われている。私も江州商人の血を引いているのだが、甲州商人ばりの逆戦法で、スタートを切った」

 「どうせ打ち上げるなら、目標は大きい方がいい。世界一の下着メーカーを目指そうと10年一筋の、50年計画を立てた。まず最初の10年で国内市場を育て、次の10年で確固たる地位を築く。70年、80年代は海外に進出。90年代は仕上げともいえる世界制覇である」

女性の下着を事業にした塚本は「格好よく言えば、私は女性を美しくすることに生涯をささげてきた。まことに幸せな人生というべきだ。」と述懐している。 その延長線上に文化を守り育てる企業像を創った。「来るべき世紀は、文化というものが、大きく評価される時代になると思います。企業評価といのも、数時の羅列だけで評価するのではなく、企業の倫理・文化性を含んだものにすべきでしょう」

この塚本幸一が住んだ京都の自宅にお邪魔したことがある。息子の能交さんが参加している会のイベントで訪ねたのだ。よく考えられた建物と庭の美意識に感動したことを思い出す。

部下を信頼することから始めよ、という塚本幸一のリーダー論は腑に落ちる。「上、下をみること3年、下、上をみること3日」というリーダーを戒める恐るべき言葉を思い出した。