リレー講座始まる。寺島学長「2017年秋 世界はどう動いているのか」。

 リレー講座。第1回。

寺島学長「2017年秋 世界はそう動いているのか」。f:id:k-hisatune:20170928213957j:image

 ・中央リニア審議会。10年後。7000万人のスーパーメガリージョン。中間駅インパクト。相模原から品川8分。高速道路審議会。圏央道国道16号線沿いの団地の急速な高齢化。

・ジエントロジー(老年学)。高齢社会への体系的な挑戦。50歳の半分が100歳を越える。定年まで40年、定年後40年。知の再武装。近代史がブラックアウト。メルカトール図法。AIの時代。

・8月アメリカサンフランシスコ。アメリカは2%台成長。失業率4.8%。西海岸と東海岸の亀裂。自立自尊と古い産業の保護。カリフォルニアのGDPはフランスの水準(世界6位)。影の部分。不動産の暴騰現象。2億円超。中間層にとって息苦しい時代。技術的失業は下方圧力で二極化。11月10日の映画「サークル」。

オーストリアのウイーン中東協力会議。北朝鮮問題の立体化。ロシア・北朝鮮大使館。IAEAとOPECの本部。7月7日の国連核兵器禁止条約はオーストラリア主導。日本は不参加。50ヶ国が批准すれば発効。東南アジアは賛成(シンガポールを除く)。北東アジアの非核化をどうするか。

・モンゴル。モンゴル300万人。内モンゴル400万。北朝鮮(1948年)と韓国(1990年)に国交。中露に挟まれた小国。トランプのあらゆる選択肢には核も入る。日本は「核は止めよ」と言うべきだ。満州国と徳王(モンゴル独立戦争の王)。

・エネルギー:現在原油価格は1バレル50ドル前後。供給ではアメリカ(世界一)とイランの登場(4位)。石油はだぶついている。需要ではエネルギー効率の向上で減ってきている。30ドルを割ると金融債のデフォルトリスク。以上から当面は30から70ドルの間で推移するはず。不安要素は金融ファクター。マネーゲーム

・脱石油時代の到来。欧州・中国のEV転換。湾岸産油国(GCC)の結束が乱れ始めた。サウジ(嫉妬と猜疑)とカタールの国交断絶。カタールは金満アラブ(1人GDP12.8万ドル)。アルジャジーラTV,ハロッズ買収、イランと気脈か。100年前のサイコス・ピコ協定は欧米の退場で先祖帰り。イラン(ペルシャ)の強大化とトルコ(オスマン)の野心。

・ロンドン:大英帝国はネットワーク型。英国と中国。AIIB、東芝東芝のウエスチングス買収(当初2250億円。最終は6400億円で買収)。立憲君主制。大中華圏はネットワーク型発展。次のテーマはユダヤ、これもネットワーク型。

f:id:k-hisatune:20170928214008j:image

高橋さんと知研の地方の立ち上げを含めた活性化の相談と日程調整。

 

「副学長日誌170928」

・杉田学部長:離学率

・渡辺客員教授:雑談

・学長報告:学部・大学院同窓会企画。

 -------------

瀬戸内寂聴。(日経170924。「文化」。黒田杏子)

・70歳を前に「源氏の現代語訳に取り組みます」と宣言した。80歳で完結?

・95歳の誕生日に句集「ひとり」を刊行。「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」

日経170927

・現在10歳の日本人のうち半分は107歳まで生きる。

 

「名言との対話」9月28日。大槻玄沢「およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず。思いさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず」

大槻 玄沢(おおつき げんたく、宝暦7年9月28日1757年11月9日)- 文政10年3月30日1827年4月25日))は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者

 『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白前野良沢の弟子でその才を見込まれて両師から可愛がられた。玄白からは医学、良沢からオランド語を学んだ。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名であった。玄沢は師の指示で『重訂解体新書』を完成させている。仙台藩医として江戸詰時代にはシーボルトとも交流があった。『蘭学階梯』に刺激を受けた全国の秀才が玄沢のもとに集まり、江戸蘭学の中心的存在となった。

 「西の頼家、東の大槻家」(頼家は頼山陽で有名)ともいわれた。玄沢の息子には漢学者の大槻磐渓、孫に『言海を編んだ』国語学者大槻文彦がおり、郷里の一関(現在の岩手県)では、この3人を「大槻三賢人」と称している名門である。

盤渓は子ども時代から才能があり、桂川甫周が「能学家を蘭学者の中に育てなければならない」と言うと、父の玄沢は10歳にもならない盤渓を指して「わが家の六次郎(盤渓の幼名)がその任に当たりそうに思える」と語った。

大槻玄沢は「遂げずばやまじ」の精神で、玄白から命ぜられて『解体新書』の改訂に取り組む。1790年から始めて、1798年には『重訂解体新書』ができた。改訂作業は続き、1804年にようやく完了した。その精神が現れた偉業である。著書や翻訳書は、300巻に及ぶという仕事人でもあった。その精神は、息子の盤渓、孫の文彦にも引き継がれて、それぞれ歴史に名を残す仕事を完成させている。その源は玄沢であった。この人の影響力は何世代にも渡った。