山本周五郎展(神奈川近代文学館)。藤原帰一講演(日本工業倶楽部)。岡本太郎の愛した酒場。日野原重明誕生日。

神奈川近代文学館で、没後50年記念の「山本周五郎展」が開催中だ。

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童門冬二が師匠と仰ぐ作家・山本周五郎1903年ー1967年。享年64)は直木賞を始め、あらゆる賞を辞退している。それは、作家は良き小説を書けば良いという人生観からきている。そして山本は純文学と大衆文芸の差は認めなかった。

この作家に興味があるのは、丁稚奉公をした「きねや」の主人で父と仰ぐ山本周五郎(洒落斎)の名前を、ペンネームにしたという逸話があるからだ。物心両面で若き日を支えてくれ、「今でも本当の父と思ってゐます」と遺族に書いているように、実の父親以上に敬愛していたのだ。そのきねやは1923年の関東大震災で焼失し休業となる。このとき、文筆で身を立てようと決心する。

山本周五郎座右の銘は「苦しみ働け、常に苦しみつつ、常に希望を抱け。永住の地を望むな。此世は巡礼である」。このスエーデンンの劇作家・ストリンドベリイの「青春」の言葉は、「ひどく予を鞭撻し、また慰められた」と述懐している。

文学の仕事というのは、「そのときに、どういう悲しい思いをしたか、その悲しい思いの中から彼がどういうことををしようとしたかということを探究するのが文学の仕事だ」と語っている。

周五郎の作品7つが教科書に載った。ひとつの作品が中学、高校のいずれにも採択為れた例は少ない。山本周五郎の小説は、生き方の教科書だ。また、ラジオ東京テレビ(TBS)では山本周五郎アワーがあり茶の間の人気を集めていた。

1988年に創設された山本周五郎賞は物語性の強い作品に与えられている。第1回の山田太一から始まり、吉本ばなな宮部みゆき篠田節子江國香織京極夏彦熊谷達也天童荒太、恩田睦、伊坂幸太郎原田マハと、なかなかいい人選をしている。

面白いのは、「文壇酒徒番付」(1964年1月)が貼ってあり、何と山本周五郎は東の横綱に鎮座していた。張出横綱井上靖源氏鶏太大関高橋義孝壇一雄吉田健一水上勉だった。

最晩年の『ながい坂』は、人生の長い坂を一歩一歩登っていく主人公の姿に周五郎の理念の影を見出すことができるとあり、ショップで上下巻を購入した。

 

「副学長日誌・志塾の風」171004

・本日のゲスト講師で2000年卒の卒業生・杉崎さん(USJ)を囲んで杉田学部長・今泉先生と歓談。USJを立て直した森岡さんの著書を紹介してもらった。早速注文。

・樋口先生:スリランカインドネシア、、、など多忙。「上宮永四丁目物語」に着手。

・飯田先生・椎木先生:読書コンクール。映画「チャーチル」「ダンケルク」を推薦される。

・中村その子先生:渡辺先生の件

・下井研究活性化委員長:多摩学

・高野課長

・中庭先生:寮

・学部長と一緒に理事長報告:合同同窓会企画。人事。大学院。離学率対策。

・宮地事務局長

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夜は、19時から東京丸の内日本工業倶楽部で開催された文庫リレー塾に出席。

講師は東大の藤原帰一先生。テーマは「トランプのアメリカと世界」。

・アメリカは弱くなった。国内の分裂(白人60%台と非白人30%台。共和党民主党によるマイノリティの取り合い。東海岸と西海岸。都市と田舎、、)。トランプンのヘイトスピーチが黒人や移民排斥から、ユダヤ人排斥まで拡がってきたのに驚愕、恐怖。ホロコーストの記憶。フタが開いた。トランプ政権も分裂(グローバリストとナショナリスト)。トランプの国連演説「体制を倒す」によって北朝鮮の先制攻撃の可能性。トランプ「交渉は無駄」発言。すべて専門家に任せないトランプ自身の問題だ。

・トランプの支持基盤は強い。支持率は37-39%と低いが固い。上下両院と最高裁共和党公共投資と減税への期待から株式上昇。弱さ:同盟国との関係は不安定(欧州・NATOとは対立。相手側のロシア親近感)。政権の脆弱性(政権は人事が停滞、専門家排除、局長クラスがいない省庁)。トランプ大統領個人の問題(権限委任ができない。情緒不安定)。

・ポピュリスムの時代:大衆迎合と大衆動員。分断と排除の政治。民主主義下の権力集中。外交政策の見直し(移民と難民)こういうポピュリズムが西欧・東欧・北欧に拡がっている。ポピュリズムはデモクラシーに潜んでいる。民主主義(1人1票)と自由主義(権力への規制)。普選による権力授権と多数による独裁。

・イリベラルデモクラシーー:内敵と外敵。大衆動員の継続。政治的競合の制限と排除。行政権の拡大。国際制度からの撤退。

・自由世界の時代(1991-2003年)は欧米の主導する世界・中露の協力。転換点(2003-2008年)はアフガン・イラク介入・世界金融危機。権力競合の時代(2009-2017年)は秩序維持から撤退する欧米・地域覇権に傾くロシア(旧ソ連への拡大)と中国(抑制的に振る舞い支配権を強化。党と軍の闘争と妥協)

北朝鮮問題の3つのシナリオ:核弾頭搭載のミサイル発射団塊でアメリカによる先制攻撃の可能性。反撃能力が之居れば韓国ソウルは甚大な被害。アメリカの単独行動(韓国・オーストラリアが外れる)から日本の自衛隊との共同行動に移る段階は危険。北朝鮮体制崩壊のシナリオ(北朝鮮内部の対立、党と軍、という中国経由の情報)

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終了後、参加していた高校同級生の松田君と新橋の店へ。

岡本太郎が来ていた店「蛇の新」で、太郎の写った写真と絵が飾ってあった。昭和27年だから岡本太郎は41歳か。

 

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 「名言との対話」10月4日。日野原重明「しかし、人間は生き方を変えることが出来る。

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 - 2017年(平成29)7月18日[1])は、日本医師医学博士聖路加国際病院名誉院長

2011年10月4日。日野原重明先生の記事と広告が多いのが目立った。日野原先生の満100歳の誕生日だからだろう。90歳の時、著書『生き方上手』は120万部のベストセラーになり、日本最高齢のミリオンセラー作家となった。

2010年11月7日、新横浜の新幹線の待合室で偶然に隣に座って言葉と名刺を交わしたことを想い出す。その時、「こんなことをやっています」ともらった名刺は、「新老人の会」の代表という肩書だった。75歳以上を新老人と呼び、自分自身を健康情報の研究に活用しようという団体だ。その75歳から30年という歳月を日野原先生が生き抜いているのは見事だ。新老人の生き方のモデルである。

最後まで現役の医師であった日野原重明は、90歳を越えた最晩年の鈴木大拙を診ている。48歳だった。1970年、福岡での内科学会への途上に日航よど号ハイジャック事件に遭い、韓国金浦国際空港で解放される。同乗していた吉利和東京大学医学部教授、犯人に教え子がいた)と、乗客の健康診断をした。事件に遭ったのを契機に内科医としての名声を追求する生き方をやめた。59歳だった。

文藝春秋に載っていた「健康心得」10箇条が参考になる。1.小食(「腹七分)。2.植物油。3.階段は一段飛びで(絶対にエスカレータには乗らない。競争する)。4.速歩。5.いつも笑顔で。6.首を回す(風呂で首を上下左右に回し、最後は耳が水面に触れるまで横に倒す)。7.息を吐ききる(うつぶせで眠ると腹式呼吸になり、いびき、肩こり、腰痛がなおる)。8.集中。9.洋服は自分で購入。10.体重、体温、血圧を計る。

「本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。」

「死はグッバイではなく、シー・ユー・アゲインなのです。天国でまたお会いしましょう、というしばしのお別れです。」

今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。そして常に自己革新を続ける。103歳で初めて馬に乗る。104歳の誕生日には100歳から始めた俳句を104つおさめた俳句を収めた初めての句集を出版する。そしてフェイスブックも始めている。やるべき崇高な仕事があり、その生き方が多くの人に夢と希望を与える大きな人生だった。人生100年時代のモデル、105歳まで生き切った日野原重明は聖なる人でになった。