午前はFD/SD研修会。午後はインターゼミ。

午前:FD/SD研修会。

・佐藤先生「グーグルクラスルームの使い方」:ヒント(レポート提出の受領、、)。

・水谷IR室長「在校生の成績分析」:ヒント(電卓、正規科目化、、)。

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 九段サテライトでインターゼミ。

AI班と多摩学班。

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 アジア班とサービス班。

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今日の収穫。

夏目漱石の手紙。確認されているだけで優に2500通を超える。中身が濃いのが特徴。福沢諭吉は1万通。人生の長さが決定的に影響を与える。

仁科芳雄博士が弟子の朝永振一郎(後にノーベル賞受賞)に語った言葉「業績があがると否とは運です。(中略)ともかくも気を長くして健康に注意して、せいぜい運がやってくるように努力するよりほかはありません」。仕事の行き詰まりの時に泣き言を言ったら励ましの手紙をもらった。その時期とはいつか。もしかしたらライバルの湯川秀樹ノーベル賞受賞時ではないだろうか。『わが師わが友』(「講談社学術文庫)で調べること。

 

 

「名言との対話」10月7日。久保田一竹「伝統は軽んじてはならない。伝統にとらわれてもいけない」

久保田 一竹(くぼた いちく、1917年10月7日 - 2003年4月26日)は、日本のテキスタイルアーティスト。

久保田一竹は、辻が花と呼ばれる15世紀後半~16世紀前半に失われてしまった染色・装飾技法「一竹辻が花」を完成させた染色家。辻が花染めは、室町時代に栄えた縫締絞の紋様染めで、庶民の小袖から始まり、後に高級品として一世を風靡したが、江戸時代に友禅染に押されて姿を消している。
久保田一竹は、14歳、友禅師小林清師に入門。20歳、東京国立博物館にて「辻が花」の織物の一片を見たことをきっかけに、一生を辻が花の復刻に捧げることを決める。27歳から31歳まで戦争、シベリア抑留。31歳で復員。44歳、小平市に一竹工房をつくる。45歳、一竹辻が花を創案する。60歳、初めて自身の装飾着物の展覧会を開催し認められる。77歳、1994年に河口湖に久保田一竹美術館が開館する。作品の一部がワシントンのスミソニアン博物館に展示された。存命の芸術家の作品が展示されたのは初めてだった。2003年、85歳で逝去。

辻が花の生地に見られる複雑な装飾技法を説明する情報が何も残っていなかったこと、辻が花に必要な練貫の絹の生地が既に生産されなくなってしまったため、数十年を研究に費やしたが、完璧に復刻するのは技術的に不可能であると判断し、代わりに“一竹辻が花”として自己流の辻が花を発展させた。

河口湖の広大で雄渾な久保田一竹美術館にある高さ13メートルのピラミッド型の本館には、ライフワーク「光響」の連作、富士をテーマとした代表作が展示されている。勇壮、繊細、濃密、、、。ライフワークの「光響」は、80連作が目標である。46連作までができており、弟子たちが後を継いでいる。

20歳で「辻が花」に魅せられた久保田一竹は、ぶれることなくその後65年間にわたって生涯をかけて伝統の復活という課題に果敢に挑戦している。伝統と革新は、古くて新しいテーマであり、芸術、スポーツ、政治、組織運営、あらゆる分野で人々はこのテーマに挑んでいると言ってもいい。長い時間によって織られた歴史と伝統を引き継ぎながら、それに過剰に囚われることなく工夫を重ね、時代の息吹を吹き込み、新しい生命を誕生させる。それが現代に生きる私たちの課題なのだ。