「東郷青児展」

東郷青児展」生誕120年。

新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館。

 

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 年譜の最後をみると、東郷青児(1897-1978年)は1978年4月に熊本での二科展の巡回中に急性心不全で死去する。享年80。この年、2月にはアマゾンの奥地を探検しているから、まだ元気だったのだろう。そういう記述の後に、4月24日付けで文化功労者として顕彰されている。ここで佐藤栄作日記第四巻を思い出した。1970-1971年の日記である。73-74歳の東郷青児がやってきて、文化勲章は無理でも、文化功労者は何とかならんか、と直接総理に言った。その日の日記には本人が言ってくるのはよっぽどのことだ、という意味の記述があった。文化功労者は存命中の人物の顕彰であるから、亡くなる一日前の日付となったのであろう。佐藤総理の影響があったのだろうか。

1976年、新宿に安田火災海上本社ビル(現在の損保ジャパン日本興亜ビル)が完成している。新宿の高層ビルの先駈けであり、またトビムシの形状も話題になった。そのビルの安田火災美術財団が運営する東郷青児美術館が開設された。東郷は79歳で、一般公開の当日には来館者を迎えている。同日には帝国ホテルで勲二等旭日重光章の叙勲祝賀会が開催された。

30代の時代に東郷の作品は安田火災の前身である東京火災のパンフレットやカレンダーに1933年から作品が採用されている。7年に及ぶフランス時代にギャラリーの装飾美術部門で働いたことがあり、それが帰国後の壁画、緞帳、商業デザインなどジャンルを問わない旺盛な活動の源泉になった。その活動が自身の名前を冠した美術館に結実したのだから、人生はわからない。

東郷の生涯を貫くモチーフは「女性」であった。「東郷様式」は、誰にでも判る大衆性、モダーンでロマンチックで優美、華麗な感覚と詩情、職人的な完璧さと装飾性という3つの特徴を持っていた。

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 美術館で買った、人間の記録89『東郷青児』を読了。

最晩年の写真は功なり名を遂げたハンサムでかつおしゃれな人物で写っている。

それを眺めると女性にもてただろうなと思わせる風貌だ。確かにこの本には数々の女性遍歴が記されている。また、若き日に山田耕筰の助力や有島生馬のおかげでデビューしたり、妻の父が虎の子のように持っていた寡作を売ってパリ留学費用を出してもらったり、留学中に命を助けた女性の配偶者の援助で貧乏生活に終わりをつげたり、何か運を持っているという印象だ。

この自伝によると、「女難の相」があると言われた東郷の波瀾万丈の女性遍歴とそこから引き出された教訓はなかなか興味深い。

人生については、「難破に難破を重ねてここまで来ると」「宇野千代と妙な仲になってしまい、彼女と同棲2年」「どうやらこうやら、絵でめしが食えるようになったのは45歳を過ぎてからのような気がする」と述べている。

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世田谷文学館で始まった「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」を観る。

日経新聞文化欄に中津の「北原人形芝居」の記事。鎌倉時代に発祥。藩の援護を受けて江戸後期に発展。1950年代に幕を閉じる危機があったが、地元の高校の先生の尽力で乗り切る。1991年から人形芝居の稽古が始まる。1975年あたりで消えていた「挟み遣い」を2010年に復活。毎年2月に奉納芝居。2018年度には大分の国民文化祭で披露する。

・同じく日経「文化」欄「文化往来」に「浄土宗全書」のデータベース化が完成の記事。

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「名言との対話」10月9日。ジョン・レノン「「ぼくが これまで どうやってきたかは おしえられる けど きみが これから どうすかは 自分でかんがえなきゃ」

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon, MBE1940年10月9日 - 1980年12月8日) はイギリスミュージシャンシンガーソングライターロックバンドであるザ・ビートルズのメンバーで、主にボーカルギター作詞作曲を担当。

さいたまスーパーアリーナの一角にビートルズのリーダーだったジョン・レノンの記念館がある。生誕60年の2000年10月19日にオープンした。パートナーだったオノ・ヨーコの許諾を得た世界初の公認ミュージアム。2010年に閉館。

ジョン・レノンの創作活動の重要なテーマは「愛(Love)」であるが、1970年にはそれは「リアルであること、感じること、触れること」と定義してあった。

少年時代から優れた文章力をみせたジョン・レノンは、「自分に見える世界がほかの人には見えないらしい」と気づき、「僕は狂っているか、天才か、どちらかにちがいない」(I must be crazy or agenius.)と思った。ジョンはビートルズを結成し、20世紀を代表するアーチストになっていく。

妻のオノ・ヨーコは、1933年生まれ、ジョンより7つほど年上である。 「グレープフルーツ」というヨーコの本が展示されていた。「この本は読み終わったら燃やしなさい」という強烈なメッセージが書かれており、後の名曲「イマジン」のきっかけとなった。イマジンは、詩がいい。「想像してごらん、天国なんてないんだ」「みんないまこの時を生きているんだ」「「想像してごらん、国境なんてないんだ」「想像してごらん、財産なんてないんだ」「みんなで世界を共有しているんだ」、、。ヨーコと出会ったジョン・レノンは、しだいにヨーコとのより幅広い多様な活動に軸足を移していく。二人は平和を求める若者たちの新しいリーダーになっていく。

ビートルズはヨーコの出現によって終わりを迎えた。「私は、ヨーコのほうをとったのです。私の選択は、間違っていませんでした。」「私たちふたりの関係以上に重要なものは、なにもありません、ぜったいになにも。」とジョンは語っている。ヨーコの次の言葉が印象に残った。「ビートルズとして存在していたために、ジョンは、ほんとうのジョンよりもスケールが小さくなってしまっていたようなものです」。ジョンは、ジョンになっていったのである。

 「 人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ。」

冒頭の言葉は記念館のフィナーレ・ルームで、透明なボードにジョン・レノンからの日本語と英語で多数書かれているメッセージである。伝記、自伝、記事、映像、言葉などで先達の人生を眺めることはできる。しかしジョンが言うように、どうやってきたかを教えてもらうことはできるが、これからどうするかは自分で考えねばならない。