リレー講座:渡部恒雄先生「トランプ政権の行方」

 「副学長日誌・志塾の風」171012

出勤途中、聖蹟桜ヶ丘で松本先生と遭遇

大学にて。

・渡辺先生

・飯田先生:T-Studioの講座「定年後の小商い」

・大学院同窓会の坂西会長:学部・大学院の合同同窓会企画の件

北海道新聞の平原記者からの電話インタビュー。11月に大きな記事になるらしい。

・高橋茂人さん来訪。知研の今後の相談。八木会長。北海道、九州、岡山、名古屋、東京、、。

・岡山の伊藤さんに電話:20周年記念の出版企画の提案。

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リレー講座:渡部恒雄「トランプ政権の行方」。

政権の局長クラスが未だに任命されていないので日本政府も実務の相手がいない状況。トランプ自身の人格分析までしていただいたが、その内容がメディアにのるとアメリカへの入国が自由にできなくなる可能性もあるとのことなので、このブログでは内容は省略する。

・日本:安定した政権交代ができるようにならないといけない。今度の選挙は再編の途上にある選挙だ。これで終わりではない。

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リレー講座修了後、 ラウンジで先生たちと雑談

飯田先生:本日の講座は50人!。「定年後の小商い」というテーマには高いニーズがある。

趙先生・金先生:総選挙が話題。

多摩大のファッションリーダー・趙先生の赤いブレザーを借りて着てみると、、、。 f:id:k-hisatune:20171013051456j:image

 今日の収穫:土屋恵一郎の随筆「芸--人生論の書き方」(日本の名随筆「人間」)から。世阿弥の『風姿花伝』の第一部「年来稽古古条条」。

・7歳:うちまかせて、心のままにせさすべし。さのみに「よき」「悪しき」とは教ふべからず。あまりいたく諫むれば、童は気を失ひて、能物くさく成たちぬれば、やがて能は止まる也。

・12-13歳:先、童形になれば、なにとしたるも幽玄なり。児といひ、声といひ、しかも上手ならば、なにかは悪かるべき。さりながら、此花はまことの花にはあらず、ただ時分の花なり。

・17-18歳:声変わり。稚児的魅力の衰えを、むしろ芸というものの転機として考える。自然の美しさから離れて、意志によってささえられる人生への転機。この意志は

少年期への否定から生まれる。

・24-5歳:時分の花に迷うて、やがて花の失するも知らず。初心と申はこのころの事也。(本当の天分が試される時。稽古に身をいれ名人の話を謙虚に聞け)

・34-5歳:あがるは三四、五までの頃、下がるは四十以来なり。返す返す、此比天下の許されを得ずば、能を極めたりとは思ふべからず。(能の絶頂期。天下の名望を得なければまことの花をうるのは難しい9

・44-5歳:(花は失せてくるから、自分にあったものをこころがけて、若い後継者の引き立て役にまわれれ。)

・50有余:父・観阿弥「やすき所を少な少なと色えてせかしかども、花はいや増しにみえしなり。これ、まことに得たりし花なるがゆへに、、、老木になるまで、花は散らで残しなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり。

・「老いる自由」:此風道を、若年より老に至るまでの年来稽古を、ことごとく尽くして、是を集め、非を除けて、己上して、時々上手の見する手立ての心力也。、、非風を稀に交ふれば、上手のためは、これめずらしき手也。さるほどに、非風却て是風になる遠見あり。

芸術家の修行は、3つの段階をのぼっていく。自然の身体。意志の身体。自由の身体。この段階を年齢という試練を稽古による鍛錬と、不可抗力の罠をすりぬける戦略で越えて行かねばならない。究極は、芸術の領域を自由に移動する場に立つ。

 

 「名言との対話」10月12日。馬越恭平「元気、勇気、長生き、腹のおちつき」

馬越 恭平(まこし きょうへい、1844年11月21日天保15年10月12日) - 1933年昭和8年)4月20日)は、日本実業家三井物産に勤務し、大日本麦酒日本麦酒朝日麦酒札幌麦酒の合併会社)の社長を務めた人物。大日本麦酒の大合同合併を画策し、「日本のビール王」とよばれた。

四歳年上の益田孝(後の三井物産社長)から、『セルフ・ヘルプ』(西国立志編)を勧められ、感激した馬越はこれを座右の書とした。その後、岡山から上京し三井物産に入り大活躍し朝吹く英二らと三井の三羽がらすと呼ばれる。

53歳で三井を去って業績不振の日本麦酒(恵比寿ビール)の経営を任され、4時間睡眠で一日20時間近く働き、コスト削減と「ビールの売り込みは四者(学者・医者・役者・芸者)に集中すべし」と号令するなど営業・宣伝に知恵を絞る。1904年医は日本初の「ビヤホール」(和製英語)を銀座に開店し東京の名所となった。日露戦争後には、渋沢栄一大倉喜八郎n札幌麦酒、外山修造らの大阪麦酒(朝日麦酒の前身)と馬越の日本麦酒が大合同し、大日本麦酒が誕生し、麒麟麦酒を抜いて日本一、東洋一になった。馬越は社長に就任した。

89歳で亡くなるまで生涯現役で、関係した企業は90余に及んだ。仕事に打ち込む一方で、関係した女性は1600人を数えた。100人目ごとに当たった芸者を落籍して一軒家や料亭を持たせたという。スタミナの秘訣は「居眠りの名人」であったことだった。

馬越のモットーは、四つあった。信仰心を養うこと。平常、心を若くし、老成を気取らず、愉快に活動すべし。心配すべし、心痛すべからず。四気が(元気、勇気、長生き、腹のおちつき)原点である。この四気を心掛けて、取り組む事業をことごとく成功させた豪快な人生だった。元気、勇気、長生きはわかるが、「腹のおちつき」とは何か。フラフラせずに、腹を据えて、目前の課題に邁進する気概のことではないだろうか。