「運慶」展

先日、上野の東京国立博物館平成館で、「運慶」展を堪能した。

青年期の運慶(1150年頃ー1223年)が活動拠点とした興福寺中金堂再建記念特別展である。運慶は平安時代から鎌倉時代へと時代が移り変わる激動の時代に生きた日本史上最高の彫刻家である。

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 運慶というと、必ず快慶という仏師の名前が出てくる。いずれも同時代の天才であるが、運慶の父・康喜の弟子であった快慶はあくまで仏師であり、運慶は仏師であると同時に西洋でいう彫刻家であった。

仏師は仏教の経典などの定めにのっとった像でなければならず、自ずから制約がある。快慶は仏師としては運慶と並ぶ天才であり、阿弥陀如来を信仰する仏師として誰もが美しいと感じる絵画的な像をつくることだった。

運慶という仏師は定型を繰り返すということがなかった。運慶の像には動きが感じられる。そして力が漲っている。独創を重んじて写実の内容が感情や精神という内面にまで及んでいる。目に水晶をはめる玉眼は光ると涙をたたえているように見えて感動を誘い、快慶は多用したが動きを重視した運慶の像には少ない。圧倒的な量感、存在感お彫刻をつくった運慶は彫刻家としても高く評価されている。武士が台頭した時代であり、新しい時代の仏像を制作に意欲を燃やしたのだろう。

代表作:奈良・円成寺大日如来像(20代の作品)。奈良・興福寺の仏頭。

 運慶と快慶の物語の小説を書いたら面白いのではないか。

 「副学長日誌・志塾の風」171014

インターゼミ。

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  「名言との対話」10月14日。アイゼンハワー「指揮官はまず楽観的であることが重要である。指揮に自信と情熱と楽観の匂いがなければ、勝利はおぼつかない」

ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890年10月14日 - 1969年3月28日)は、アメリカ軍人政治家連合国遠征軍最高司令官英語:Supreme Commander, Allied Expeditionary Force、略称:SCAEF)、陸軍参謀総長NATO軍最高司令官、第34代大統領を歴任した。

貧しい一家ではあったが、「努力しなければ何も得られない」を信条にする母親は、「溺れたくなければ泳ぎなさい」というような示唆に富む言葉で息子たちを厳しく教育した。

3人の師との出会いが凡人であったアイゼンハワーを変えた。フォックス・コナー少将からは古典の勉強を教わる。反面教師でもあったマッカーサー参謀総長からは信頼する部下にすべてを任せるやり方を学ぶ。マーシャル陸軍参謀総長からも影響を受けている。そして1953年にはアメリカ大統領に就任。二期年間の副大統領はニクソンである。「物腰は優雅に、行動は力強く」をモットーとしたアイゼンハワーは、アメリカ国民から(Ike)の愛称で親しまれていた。

1957年の岸信介首相のアメリ初訪米では、アイゼンハワーはゴルフを岸と楽しんだ。「大統領になると嫌なやつともテーブルを囲まねばならないが、ゴルフは好きなやつとしかできない」と語り信頼関係を築いた。1960年の来日計画は日米安保反対闘争の東大生・樺美智子の圧死によって中止された。

 偉大なる凡人アイゼンハワーは常に笑顔であった。リーダーには、彼の心を消耗させる悲観的な報告が部下から間断なく次々と届く。その重圧は胸に突き刺さる。強固であったはずの自身は揺らぎがちだ。しかし「決断とは、目的を見失わない決心の維持にほかならない」というように、指揮官たるリーダーは揺るぎない自信と勝利への強い情熱と、戦況を大局的にそして楽観的に観る態度を失ってはならない。それをアイゼンハワーは教えてくれる。アイゼンハワーの記念館は彼が成長したカンザス州アビリーンにある。