日本の名随筆シリーズの『人間』(多田富雄編)と『定年』(山田智彦)

古本屋で手に入れた『日本の名随筆』 シリーズの『人間』(多田富雄編)と『定年』(山田智彦編)を読了。

日本の名随筆 (別巻90) 人間

日本の名随筆 (別巻90) 人間

 
日本の名随筆 (別巻20) 定年

日本の名随筆 (別巻20) 定年

 

 

『人間』は対象が広すぎて焦点が定まらず多田富雄が言うようにやや散漫な印象であるが、『定年』(1992年)はさすがに人生の機微に触れた名随筆が多い。夏目漱石河盛好蔵池田弥三郎鈴木健二、安倍公房、柴田錬三郎大宅壮一青木雨彦扇谷正造、土岐雄三、山口瞳三浦朱門城山三郎らの随筆は味がある。こういう随筆にむしろ「人間」や人生観が映し出される。

 

以下、参考。

柴田錬三郎「私の家の応接間には、自分の本だけをならべた棚がある」(これは実現したい)

大宅壮一の浪人生活秘訣三ヵ条「身なりをととのえること。会合には万障繰り合わせて出席すること。上等のボストン・バッグの類いを持って歩くこと」(参考にしよう)

杉村「新聞記者は、文章を書くたびにモノを覚えていく」(本を書くのも、ブログを書くのも同じことだ)

イタリアのロイ将軍「わたしは、生来の楽観主義者である。なぜなら、人間の馬鹿さ加減にも限界があると思っているからです」(この人に惚れた塩野七生の文章から。悲観する状況の中で、それを逆手にとって楽観する姿勢がいい)

奥本大三郎『子供の、「あれなーに、これなーに」が発展していくと博物学になる』

中村雄二郎「知らないこと、初めて出会うこと、驚かされることが多く、日々を新鮮に生きることができるあらである」(若いときは時間の流れが遅い理由)。「五感をつらぬき統合する感覚、、時間を感じるのはこの根源的な感覚だ」「旅先では共通感覚がいききと働く」(五感「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を働かせる日々が重要だ。旅美に出る。新しいことに挑戦する。)

 

 

「副学長日誌・志塾の風」10月16日。

研究室

・パソコン(マックブックプロ)のプロジェクター撮影について勉強。

・インスタグラムの勉強

 

ラウンジ

・飯田先生:読書回帰イベント。

・山本さん:T-Studio「名言との対話」は11月1日。センテナリアン。

・金先生:学部運営委員会

・高野課長:打ち合わせ

 

 

「名言との対話」10月16日。オスカー・ワイルド「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」

オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人作家劇作家

ワイルドは若い時代から華々しい才気と派手な振る舞いで、ダンディの典型といわれた。当意即妙の洒落と警句にあふれる喜劇は成功した。また、座談と講演の名人でもあった。

1888年に息子達のために書いた『幸福な王子』は、ワイルドの人生観を寓意的に反映し、奇想天外な比喩、色彩と音楽性に富む文章であった。

1891年のゴシック風のメロドラマ『ドリアン・グレイの肖像』の序文では「書物に道徳的も不道徳もない。よく書けていりか否かっだけが問題なのだ」と主張し、当時は非難されている。

同性愛をとがめられ2年間の投獄、破産。服役後は世間から見放された。46歳で脳髄膜炎で死亡する。葬儀は淋しいものだった。

オスカー・ワイルドの文業と生き様は、日本でも森鴎外夏目漱石芥川龍之介谷崎潤一郎らに影響を与えた。

「生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけだ」

「一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである」

「ほとんどの人々は他の人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの除熱は引用である」

「男は最初の恋人になりたがるが、女は最後の恋人になりたがる」

「誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。しかし友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ」

アランは「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と言った。ワイルドと同じイギリスの名宰相チャーチルは「悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す」と言う。ワイルドの冒頭の言葉は、楽観主義者と悲観主義者の見る目を教えてくれる。問題の中に機会を見いだし、その機会の中に次の問題を見いだすという連鎖が成功を生むのだから、気分を意志で克服し、楽観的に構想し、悲観的に準備し、そして楽観的に始めよう。