中津北高・南高の関東合同同窓会。インターゼミ。がん研有明。

「がん研有明」の知人のお見舞い。1908年創立で100年を越える「がん研究会」は、渋沢栄一が尽力してできた団体だった。渋沢は500社の創立に関わったのだが、慈善事業・社会福祉事業には600だった。その一つが「がん研」だったことが分かった。

16時:インターゼミ。

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 学長講話

安藤忠雄展(国立新美術館)。76歳にして「挑戦」、ファイティングポーズ。笑顔のストイシズム。AI次代に建築家は生き延びることができるか? 縁。自分の旗を立てよ。セルフマネジメント。食いつく力。BS11「インド」。「中国」。「安藤」。

・藤沢シンポジウム:観光・ホスピタリティ。異次元の高齢化XICT(IOT)の新プロジェクト。

・ハワイ:欧州戦線で活躍した日系人442部隊。ダニエル・イノウエ上院議員ダニエル・イノウエ空港。二つの祖国。

本居宣長サミット:小林秀雄と向き合うことになる。10年かけた「本居宣長」。からごごろからやまとごごろへ。和漢洋の教養。洋も疑問。江戸期は中国からの自立の過程だった。通貨・暦・学問。源氏物語もののあはれ古事記元寇が伏線となって日本のアイデンティティの模索から国学が誕生。北畠親房日蓮、、。

・明日の選挙:

・・投票率は上がらないだろう(前回52%。今回は上昇かという局面だが、19歳以下の240万人の投票率が低い)。

・・比例区自民党投票率は下がるだろう。30%を超えるか否か。(前回33%。投票率52%・得票率33%で全有権者の17%で議席の61%を獲得。小選挙区自民党比例区では「国家主義」へのためらいでブレーキ)。自公で307議席。300以下だったら与党は信任、安部には疑問がつく展開。

 

18時:九段下のホテル・グランドパレスで、中津北校・中津南高の関東合同同窓会が開催された。総勢500名以上の大きな会。北高の同期は7人が出席(女性は今仁(長岡)さんと吉松さん)。

・来賓席の以下の方々と談笑。奥塚市長(人口8.4万人)。仲商工会議所会頭(宮城大で一緒だった仲先生の兄。2000社会員)。南高同窓会長の清源弁護士(23回生。「邪馬台」の顧問)。北高の工藤校長(「団塊坊ちゃん青春記」の感想)。南高関東同窓会の久恒三平会長(弁護士。近所で遊んだ。相続の本。団塊と名言を送っておこう)

・2018年1月1日NHKドラマ「風雲児たちーー蘭学革命(れぼりゅうし)篇」:片岡愛之助が「解体新書」に功績のあった江戸時代の中津藩医前野良沢を演じる。19時20分から90分。

終了間際に抜け出して、居酒屋で同期5人で懇親。

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 「名言との対話」10月21日。江戸川乱歩「運命の鬼めは、甘い獲物を与えて、人の心を試すのだ。そして、ちょっとでも心に隙があったなら、大きな真っ黒な口を開いて、ガブリと人を呑んでしまうのだ」

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性1894年明治27年)10月21日 - 1965年昭和40年)7月28日は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家推理作家。戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。日本推理作家協会初代理事長。探偵小説『怪人二十面相』、評論『幻影城』など。

中学卒業の年に父が破産し、単身上京。苦学しながら早大政経学部を卒業後は貿易会社社員や古本屋支那ソバ屋など職業を転々。ペンネーム(江戸川乱歩)はアメリカの作家、エドガー・アラン・ポオに因んでいる。ダーク・ロマンチシズムのアメリカのエドガー・アラン・ポーは、アメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であった。

「ぼっ、ぼっ、ぼくらは少年探偵団、、」で始まる、子供の頃に聞いたラジオドラマ「少年探偵団」の作者が乱歩であった。名探偵明智小五郎が主役の探偵小説には高い人気があった。『D坂の殺人事件』のD坂(千駄木の団子坂)には、ファンの店主が開いた「乱歩」という名前の喫茶店もあるという。

「探偵小説家たるものは日々夜々、ただもう、如何にして前人未到の大構想を構想すべきかに、心を砕きます。」という乱歩は実際に探偵として探偵事務所(に勤務していた経歴も持っている。

生涯引っ越した数は46回といわれているが、終の棲家となった池袋の旧・江戸川乱歩邸は、今では立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターになっている。2階建ての土蔵が厖大な蔵書庫をおさめる書庫になっている。

「うつしよは夢、夜の夢こそまこと」と、色紙や短冊への揮毫によく書いた乱歩の作品には、衆道少年愛少女愛、男装・女装、人形愛、草双紙サディズムやグロテスク、残虐趣味などが織り込まれている。

乱歩には休筆期間が多い。「大正十四年に専業作家になってから現在まで満三十一年余だが、そのうち十七年休筆していたのだから、正味十四年あまりしか働いていない勘定になる。書いているより休んでいる方が多かったのである」と語るように、作品に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪した。長編小説を書くにあたって大まかなプロットを書く作家が多いが、この作家は場当たり的に執筆し、途中でストーリーが行き詰まり、途方にくれることもあったそうだ。

探偵小説界に一人の芭蕉出でよ」という乱歩は、新人発掘にも熱心で、知り合った横溝正史に上京を促し二人で探偵小説の時代を築いていく。そして高木彬光筒井康隆大薮春彦などを育てている。日本探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の創立と財団法人化に尽力し、寄付した私財1000万円の使途として1955年に江戸川乱歩賞が制定され、第3回より長編推理小説の公募賞となる。2017年現在まで63回で、森村誠一東野圭吾桐野夏生などが受賞している。晩年には大乱歩と「大」という尊称をつけて呼ばれるようになった。文学者で「大」がつくのは大谷崎こと谷崎潤一郎くらいだろう。

さて、冒頭の運命をめぐる警句には凄みがある。得意の絶頂にあるときこそ、危険などん底の割れ目に落ちる危険が待ち構えている。その鬼に呑まれた屍を私たちは人の世に無数にみることができる。