丹羽宇一郎『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)--仕事と読書と人間関係、そこから学ぶ人間理解。

丹羽宇一郎『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)を読了。

総合商社・伊藤忠商事の中興の祖であり、民間人初の駐中国大使を経験し、また読書人としても有名な丹羽宇一郎の読書論。

実家は本屋。60年安保の名古屋大学法学部時代は学生運動家。検察官か弁護士を志望していたが、伊藤忠商事に入社。若い時代から続く読書の継続と、仕事に立ち向かう徹底した現場主義がこの人の勉強法だ。

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 語り下ろしの読みやすい本。参考になる点をいくつか。

・アメリカ駐在中は、大豆を扱う部署。農業、歴史、政治、産業に関する本を読んだ。

・読書でゴルフのシングルプレイヤーになった。

・40年以上、毎日30分以上の読書。本を読むために電車の終着駅に住んだ。毎週3冊、年間150冊。

・重要なところはノートに書き写す。このノートは唯一無二の、座右の書だ。

・優秀な人間ほど、隠し事をする。

・問題があるということは、懸命に生きている証。

・人生で大事なのは、仕事と読書と人間関係。そこから学ぶ人間理解。

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衆院選:数字をチェック。

投票率は53.8%で前回52.7%をわずかに超えた。劇的展開と台風直撃の中で。

・自民の比例の得票率35%(前回33%)

小選挙区:自民48%の得票率で77%の議席獲得。比例35%の得票率で40%の議席

・自公圧勝(310超で与党・安部首相は信任)。立憲が野党第一党

有権者の20%が期日前投票(63%アップ。2138万人)

・18歳・19歳:自民40%、希望11、立憲7。

無党派:立憲31%、自民21、希望18、、。

 

 

「名言との対話」10月22日。清水達夫「みんなが賛成するのは危険だ。それは新しくない。みんなが反対するから新しいのだ」

清水 達夫(しみず たつお、1913年10月22日 - 1992年12月28日)は東京府出身の編集者マガジンハウス創業者。

立教大学予科で学生劇団や同人誌に参加。電通に入社してからは「宣傳」誌を編集したが、のち左遷されたので退職し、大政翼賛会宣伝部に入る。戦後、1945年に岩堀喜之助の誘いで「平凡」誌を創刊。次いで「週刊平凡」「平凡パンチ」「anan」を創刊し、戦後を代表する大雑誌に育て上げて、清水は雑誌の神様と呼ばれた。

新雑誌創刊によって「社会の文化の質や構造、大衆の生活内容まで作りかえてしまう」、マーケティングよりは「身近な誰かをモニターにする」、「雑誌は表紙だ」など、のちに雑誌などの常識になっていくことを天才・清水達夫は打ち出していく。

雑多な情報を一つの体系的にまとめているから雑誌と呼ばれるから、雑然とした編集に陥りがちな雑誌の世界であるが、新雑誌を明快なコンセプトで未開のマーケットに打ち込んで成功させ、清水は雑誌の王国を創りあげた。

平凡社から社名変更をしたマガジンハウスとはJALの広報担当として木滑良久石川次郎と続く編集人脈が主導した「ポパイ」(都会型の若者に焦点を絞った20代のメンズファッション雑誌)、「ブルータス」(徹底的な特集主義で読者の興味を引くものの入り口を探す)、「ターザン」(カラダづくりの教本!快適なライフスタイルの追求雑誌)などの雑誌で縁があった。コンセプト、読者ターゲット、斬新な企画などに感心しながらつきあったことを思い出す。

清水は清水凡亭という俳号を持つ俳人でもあり、1951年から「淡淡」という句誌を主宰していた。1991年には私設の俳句美術館を滋賀県大津市に開設している。大津には松尾芭蕉墓所や句碑があることで有名な「義仲寺」がある。俳句と美術を組み合わせたのも新しい。生き生きとしたキャッチコピーはマガジンハウスの特徴だが、それは清水が俳人であったことも関係しているのではないだろうか。

驚きの提供、ワクワク感、常識破り、企画の切れ味、時代の波がしらの投影、、、、。まさに雑誌は新しさが勝負であり、企画編集には革新的な若い感性が不可欠だ。その精神を「みんなが反対するから新しいのだ」と名編集者は喝破したのだ。