多摩「教授会」。荻窪「出版社」。代々木「セミナー」。

 

「副学長日誌・志塾の風」1710125

多摩

・学運営委員会

・教授会

ラウンジ

・高野課長

・飯田先生:衆院選と出処進退。

・樋口先生:「上宮永四丁目物語」

・杉田学部長:相談

 

荻窪

・日本地域社会研究所で落合社長に面談:岡山知研の本。熱中小学校。

 

代々木

・八木会長:知研パンフの編集相談

・知研セミナー:都筑義一「イタケ島便りに書いたことーetc,etc」

・セミナーに初参加の高校同級の猪俣君とすし屋で懇親

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 「名言との対話」10月25日。「美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係がない。みがかれた感覚と、まいにちの暮らしへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる」

 花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日)は日本の編集者グラフィックデザイナージャーナリストコピーライター

世田谷美術館で開催中の「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」をみてきた。2016年のNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」で唐沢寿明が演じた花森安治は、「暮らしの手帖」という前代未聞の雑誌を成功させ、戦後の日本女性の暮らしを変えた。花森は、絵も写真も文章も達人で、挿絵も挿画もレイアウトも、すべて超一流だった。創刊号以来、この雑誌の表紙は153号まで、パステル画、油絵b、水彩画、写真などですべて手がけた。「暮らしの手帖」の取り上げたテーマは多岐にわたっている。アイロン、鉛筆、カメラ、クレパス、マッチ、ミシン、やかん、洋服ブラシ、扇風機、中性洗剤、電気あんか、石油ストーブ、くず箱、、、、。主婦の立場に立った「商品テスト」が特色である。創刊以来、広告を一切入れず、やがて発行100万部に迫るまで成長した。

おかっぱ頭を貫き、毎日新聞の新春企画で大石ヨシエ代議士が花森と対談して、最後まで女だと思いこみ、意気投合して、「おたがい、女性のためにがんばりましょう」と握手までして帰った、というエピソードも残している。

二等兵としての満州体験、その後の20代後半から30前半にかけての大政翼賛会実践局宣伝部、文化動員部副部長としての仕事ぶりについては語ることがなかった。「仕事のできる目立つ」「なにをやらしても、できる」「朝から晩まで、仕事してる」人であった。戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」「買はないで、すませる工夫」「この一戦、何がなんでもやり抜くぞ」「家庭も小さな鉱山だ 鉄・銅製品を総動員!」などの宣伝物は花森がつくったのではないか。そういった体験と反省を踏まえて、贖罪の意味もあり「暮らしの手帖」に没頭したのではないだろうか。

辛口評論の大宅壮一が「文春の池島新平、暮らしの手帖の花森安治、朝日の扇谷正造」と戦後マスコミの三羽がらすと評していた編集の名人だった。自身はアーチスト(芸術家)ではなく、アルチザン(職人)と考えていた。アーチストは自由であるが、アルチザンには目的がある。

国家の起こした戦争のために優れた能力を酷使した花森安治は、戦後の民主主義の世の中では、市井の人々の「暮らし」の向上のために、持てる能力と技術を余すところなく燃焼させた。「しっかりした眼と努力する手」とは、花森自身とその「チームの眼と手、そして女性読者の眼と手であろう。それらがもっとも大事な「暮らし」の美しさをつくりあげるのだ。