品川:修士論文予備審査会。大学院教授会。九段:インターゼミ(社会工学研究会)。

 

 

品川:大学院:9時から

修士論文予備審査会:徳岡研究科長と。日本経済の問題とビジネスマンの苦悩がみえる。「トリプルメディア時代のPRマーケティングの仕掛け方」「中国におけるホテルノフロント」業務の研究」「企業(サービス業)ノイノベーションにおける経理部門の役割」「自律協調モデル組織の研究」「ベトナム進出日系企業・今後の課題」

・大学院教授会

・喫茶で懇談:金先生・バートル先生。非常勤採用、リテラシーコンピテンシー。知識量と主体性。、、、、。

 

 

九段:インターゼミ:16時から

・水盛先生「中国出張。60歳以上が2.3億人。周金平・中国が凄いというテレビ番組」。

・バートル先生:「留学生。大学院に中国、モンゴル・ベトナムミャンマー、ロシア。起業家精神が高い。留学生ネットワーク。日本人院生とのコラボ事業。」

・大場先生「グローバルスタディーズ学部。ゼミ説明会が盛況。、、」

・学長講話:国会議員一人2億円。絶対投票率17.9%で議席は61%。与党で三分の二以上で、与党を支持したことになる。安保法セ、憲法改正、。政治に失望する国民。5年で3回の選挙。毎回700億円。解散権の首相専権事項には疑問。リベラルバネ。1期4年。若者の保守化。49%が自民。不満は少ない(期待はない。せめて安定を)。不安は多い(将来不安)。条理を尽くして考えよ。

・グループ討論。

・金先生・松井さんと多摩大型の高大接続アクティブ・ラーニングについて意見交換と方向性の確認。

 

帰りは杉田学部長の車に便乗し、学部運営の意見交換をしながら帰る。歴史、人事、予算、、、。

 

 

「名言との対話」10月28日。嘉納治五郎「人に勝つより、自分に勝ちなさい」

嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日万延元年10月28日) - 1938年昭和13年)5月4日)は、日本柔道家教育者である。

柔道の創始者で、「体育、勝負、修心」を目的とした講道館の設立者。学習院では教頭をつとめるなど華族教育を行った。第五高等学校校長、第一高等学校校長、そして東京高等師範学校校長を累計25年の長きにわたって務めており、教育界における人材輩出に大きな功績がある。日本体育協会を設立、また友人だったクーベルタン男爵から頼まれてアジア人初の国際オリンピック委員会委員として1940年のオリンピックの日本招致を成功させた。嘉納は1938年(昭和13年)5月4日、エジプト・カイロで開かれたIOC総会の帰り道、氷川丸の船中で肺炎にかかり、命を落とす。享年77歳。日中戦争の激化により政府が嘉納の死後わずか2ヶ月後に開催権を返上し、幻のオリンピックとなった。

意外なことに、嘉納は体が弱く子どもの頃には常に人の下風に立たざるをえないことで発奮し、心身の鍛錬で克服しようと柔術の世界に入っていく。そして様々の流派から学び、それらを総合して心技体を磨くという「柔道」を開発し、それを日本と世界に広めていった。人を集め、道場を開き、形を整え、雑誌を発行し、会をつくって、柔道を世界的存在にした。

「自分は永年、高等師範学校長の職にあって、その職務上、道徳教育をもっとも大切に考えておった。」「道徳教育が人の一生の行動を支配する。」「師範教育についてのもっとも大切な点は、生徒をして教育の力の偉大なるものであるといいうことの信念を確立せしむることと、さらにこれを楽しましむることである。」「師範教育についてのもっとも大切な点は、生徒をして教育の力の偉大なるものであるといいうことの信念を確立せしむることと、さらにこれを楽しましむることである。」「教育は、一人の人のなせることが、その一生の間にさえ何万人にもその力を及ぼし、さらに、その死後、百代ののちまでも、その力を及ぼすことが出来る。「自分の成功は同時に、他人の成功をも助けて、その満足を得るのである、それが教育の愉しいことの一つである。」

講道館新館2階の「資料室」の中に「殿堂」への入り口があり、その奥に「師範室」がある。資料室は柔道の誕生から世界200各国に伝播するまでの歴史の資料が展示されている。殿堂には、柔道界を担った先達の写真と経歴が記してある。この中で知っている名前は、広瀬武夫6段(1868−1904年)、三船久蔵10段(1883−1965年)、正力松太郎10段(1884−1969年)、西郷四郎6段(1866−:会津藩西郷頼母の養子。山嵐)。そして「師範室」は、柔道の父・嘉納治五郎の記念室である。慶応が先生と呼ぶのは福沢諭吉だけなのと同様に、ここでは師範と呼ぶのは嘉納治五郎だけのようだ。

勝海舟が小石川の107畳の大道場ができたときに来賓として招かれ、嘉納の模範技を見て詠んだ言葉がある。「無心而入自然之妙 無為而究変化之神」。創設した宏文学院の関係者にも柔道の指導を始めているのだが、この名簿の二人目に周樹人の名前が見える。後の文豪・魯迅である。魯迅も嘉納の指導を受けたのだ。

 このビルの8階に道場での稽古を自由に見ることができる見学席があるので覗いてみた。外国人(GERとあるのでドイツ人)の男女の練習。日本人の指導者が外国人の団体を指導している。始める時に「嘉納師範に礼」というところから始まる。また外国人に英語で指導している姿もある。かなりのレベルの外国人同士で柔道の型を練習している風景もある。

「教育のこと、天下にこれより偉いなるはなし。一人の徳教、広く万人に加わり、一世の化育、遠く百世に及ぶ。教育のこと、天下にこれより楽しきはなし。英才を陶鋳して兼ねて天下を善くす。その身、亡ぶといえども余薫とこしえに存す。」

「柔道とは、心身の力を、最も有効に使用する道である。その修行は、攻撃防御の練習により、精神身体を鍛錬し、その道の真髄を、体得する事である。そして、是によって、己を完成し、世を補益するのが、柔道修行究極の目的である。」

嘉納治五郎は、柔術を柔道に昇華させ、その柔道が多くの俊秀を生み、それが世界に広がって、目の前の道場の光景になっている。講道館では一人の志がここまで成長するということに感じ入って、講道館で練習風景を見続けたことを思い出す。

「人に勝つより、自分に勝ちなさい」と教えた嘉納治五郎の人生と業績をみると、この人こそ、自分に勝った人だと思わざるを得ない。教育者・嘉納の教えがここに凝縮されている。