多摩祭二日目--「多摩大・立志人物伝」

 多摩祭二日目。

本日も入場者は多い。おそらく昨年を超える史上最高の入場者数となるだろう。

 

午後の多摩大OBを招くイベントは、杉田学部長の「多摩大・立志人物伝」だった。

33人の多摩大の歴史上の人物を解説しながら多摩大の歴史を説明する興味深い講演だった。結論は「教育の多摩大」だった。

f:id:k-hisatune:20171113063101j:image

 野田一夫初代学長(コンセプター)。中村秀一郎初代学部長(2代学長)。尾高敏樹(大学の番頭)。松谷泰行2代学部長(全員添削)。鈴木雪夫(初代研究科長)。井上伸雄(いたずら王)。日下公人研究科長(人生最高にして究極のレジャーは教育)。国津信博(人生訓)。内藤則邦(ゼミ中心大学の起源)。白根礼吉(ダンディズム)。近藤隆雄(教務委員長)。門間晋(英語の前に日本語)。大槻博(日本初の授業評価)。河野大樹(ドラッカー)。井上一郎(那野比古)。河野。星野克美(消費社会)。楠木光雄(教養としての音楽)。松浦敬紀(3代学部長)。今泉忠4代学部長(初代副学長。ネットワーク環境)。飯田健雄(ダジャレ・陸上・サーフィン)。常見耕平(図書館へ引っ越し)。望月照彦(志士を)。北矢行男(現代の私塾)。山原克明(教職)。秋山純一(国際会計)。中谷厳(4代学長。自己発見)。野田稔(初年次教育)。大森拓哉。田口聡志(スーパー切れ者)。豊田裕貴(名物ゼミ)。諸橋正幸(5代学部長。副学長)。広瀬一郎(スポーツマーケティング)。

下記写真は創業教授陣。

f:id:k-hisatune:20171113063026j:image

続いて現役教員を交えた懇親会。黒瀬同窓会長を囲んでの写真。

f:id:k-hisatune:20171113063015j:image

私は開会の挨拶。

「多摩大・奇人変人伝! 現代の志塾はどうして決まったかを語り継ごう(北矢先生の「現代の私塾」を土台に望月先生の「私を志に」の提案を受けたもの)。学部同窓会と大学院同窓会の合体で多摩大「志塾会」を結成。ライバルは慶応「三田会」。2018年から毎月のセミナーと懇親会を連続開催。)」

f:id:k-hisatune:20171113063124j:image

 

「名言との対話」11月12日。ロダン「天才? そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです」

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンフランス語: François-Auguste-René Rodin1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランス彫刻家。近代彫刻の父。

ロダンは独学の人であった。35歳、イタリア旅行で目の当たりにしたミケランジェロの彫刻に衝撃を受ける。この時、「アカデミズムの呪縛は、ミケランジェロの作品を見た時に消え失せた」と語っている。以後、彫刻の世界で頭角を現していく。

ロダンは、19世紀最高の彫刻家であったが、日本人芸術家にも多大な影響を与えている。

岡倉天心「私は去年フランスに行ってきました。ロダンにも会いました。あのじいさんはそれをやっております。偉いじいさんですよ」(平櫛田中に語った言葉)

与謝野晶子の四男アウギュストの名付け親はロダンだった。

高村光太郎は、欧州留学中にロダンの「考える人」の図版に衝撃を受ける。

川上貞は音二郎とともにアメリカ、ヨーロッパを巡業し大成功をおさめる。このとき、ロダンは快活で驚くほど完璧な芸術である貞奴に彫刻にしたいと申し出たが、断られている。

朝倉文夫「今までに約四百余の肖像彫刻をつくっている。世界で一番だろう。ロダンは120くらい、ミケランジェロが80くらい、日本では100つくった人はいない。」

佐藤忠良ロダン高村光太郎の後継を意識していた。それは人間を中心に据えた造形であった。

町田にある西山美術館はロダンユトリロ専門館で、ロダンの彫刻52点。ユトリロの絵画76点が展示されている。ナックという会社の創業者に西山由之という人が6千坪の広大な敷地に建てた美術館に驚いた。

ロダンは24歳の時にローズ・ブーレと出会う。77歳で正式に結婚式を挙げるが、その15日後に73歳の妻は死去し、本人もその年に77歳で死去している。

人に強い影響を与える人は偉い人である。ロダンは同時代の日本を含む世界中の芸術家に感銘を与えている。そしてその影響力は世代を超えて21世紀の今でも残っている。ロダンを天才と呼びたくなるが、本人はそれを拒否している。不断の計画と方法についての弛まざる勉強の継続がロダンをつくったのだ。ロダンは『考える人』を創造したが、ロダン本人は本当の意味で偉い人である。