3年ぶりの千歳会--JAL札幌空港支店で働いた仲間との同窓会

3年ぶりの千歳会--JAL札幌空港支店で働いた仲間との同窓会

女性17名、男性31名、夫婦3組6名。合計54名の参加。

20代の時の、上司、先輩、同僚、などと久しぶりに交歓。人は想い出に生きる。青春時代の同じ時空の空気を吸った強い共感が会場に満ちていた。当時の写真に見入る人たちの真剣なまなざしを見よ!

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終了後、二郎さんと鶴さんと話す。

 インターゼミに駆けつける。

学長講話時の資料のみ受け取る。

週刊エコノミスト「日本の株式市場は意図的に形成された相場。公的資金の投入がなければ1万2千円を割る。政治主導によってゆがめられた金融資本主義。原油価格は需給だけでなくマネーゲームに左右される。金融取引税など新しい政策科学屋ルールづくりが必要だ」

ドラッカーから学ぶもの「時代との緊張。境界人。脱イデオロギー

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 松井先生。杉本係長。

杉田学部長と情報交換をしながら帰宅。

 

「名言との対話」11月18日。古賀政男「一言も褒めることなく、またけなすことなくして、私の曲をふと口ずさんで下さる人々だけが私の心の支え」

古賀 政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト明治大学マンドリン倶楽部創設メンバー。

国民栄誉賞を受賞した古賀政男の歌は「古賀メロディー」と呼ばれ愛された。「丘を越えて」(藤山一郎・1931年)、「酒は涙か溜息か」(藤山一郎)、「影を慕いて」(藤山一郎・森進一)、「ああそれなのに」(美ち奴)、「人生の並木路」(ディ句・ミネ)、「人生劇場」(楠木繁夫・村田他英雄)、「誰か故郷を想わざる」(霧島昇)、「娘船頭さん」(美空ひばり)、「芸者ワルツ」(神楽坂はん子)、「無法松の一生」(村田英雄)、「思い出さん今日は」(島倉千代子)、「東京五輪音頭」(南春夫)、「悲しい酒」(美空ひばり)、「浜昼顔」(五木ひろし)、、。

河口湖の古賀政男記念公園の中に古賀政男記念碑がある。古賀は昭和20年8月までここ河口湖で過ごした。名曲「誰か故郷を想わざる」が前線の兵士たちに熱狂的に愛誦されたことで、政府から日本の大衆文化を守るために疎開して欲しいとの要請を受けて、この地の別荘で8月15日の敗戦を迎えた。このとき古賀は慕う青年たちに「これからは新しい時代が来る。皆で古い時代の垢を洗い流し、新生日本に向かって第一歩を踏み出そう!」と語り、河口湖に飛び込み心身を清め、霊峰富士に向かって新たな誓いを立てた。この石碑の裏には古賀政男音楽記念財団の山本丈晴理事長の名前があった。この人は古賀の内弟子で、日本一の美人女優・山本富士子の夫だ。

作曲家は膨大な曲を作る。65歳で亡くなる中山晋平は3千曲。古賀政男5千曲。浜口庫之助5千曲。服部良一3千5百曲。73歳で亡くなる古賀政男は5千曲。 80歳で亡くなる古関裕而は5千曲。2、3日で1曲の計算だ。

東京代々木上原にある古賀政男音楽記念館は財団法人古賀政男音楽文化記念振興財団が運営をしている。三階建ての立派な建物だ。地下には音楽情報とカラオケ・ルームがあった。古賀は若いときはあらゆるジャンルの作曲を手がけている。「社歌・団体歌」では、大川市歌、キャノン音頭、公明選挙音頭、日本税関の歌というもの展示してある。「スポーツ・レジャーソング」では、スキーの唄。プロレスの唄、リングの王者、、、。校歌も多い。明大マンドリン倶楽部の歌、九州大学医学部第二外科教室歌、、、。「ご当地ソング」も多い。宮城県のところを見ると、鳴子おどりがあり、「鳴子恋しや こけし娘、、、」というのがあった。

「私は日本のようにメロディ豊かな国はないと思う。」「歌や音楽は、最高のそして総合的な文明評論である。」「戦争のときも平和のときも、私は一生懸命自分の心に背かないように作曲してきたつもりである。」「クラッシックはきびしい父の音楽であり、歌謡曲はやさしい母の音楽だと思う。」

歌曲のライトモチーフは、みな「時代」であるという古賀は、「人々の支持や共感とは、大衆が直感的に、その曲がその時代をどうとらえていたかということの最大公約数的な回答にほかならないと私は思う」とも語っている。美しいものに「驚く」という才能が時代を感じ取る。その時代を生きる庶民が自分の歌をふと口ずさむ、それは古賀メロディーが時代をつかまえたということであろう。流行歌は時代そのものである。