高大接続アクティブラーニング研究会。インターゼミ。

 「副学長日誌・志塾の風」171202

高大接続アクティブラーニング研究会:多摩大学、多摩大目黒高校、多摩大附属聖ヶ丘高校の担当者の研究会。

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 2017年度から始まった研究会だが、動きのスピードが速く、広がりが大きく、深まりが深い。3つの大きな組織が共通の方向に向けて前進し成長している全体像がみえる。

・組織的対応:アクティブラーニング支援センターの位置づけ。

・アクティブラーニングの成果指標と目標値についての検討。

・企業・行政・NPOなど外部のニーズ、問題を解決していきながら地域活性の貢献するのがアクティブラーニングとの認識。

多摩大式高大「融合」アクティブラーニング。多摩大メソッド。アクティブラーニングの多摩大モデルへ。

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 九段サテライトでインターゼミ。

学長講話「日本の人口はピークから150万人減少。田舎は自然に帰りつつある。国際技能オリンピックで日本は2007年までは1位だったが、9位に転落。中国、スイス、韓国、、、。現場の力が落ちている。経団連会長の東レ関連企業の不祥事など経営がおかしくなっている。ITは中間層の排除が本質であり空洞化。中国は2000年には日本のGDPNお4分の一、2010年に肩を並べた。2018年には3倍。このスピード感が理解できない。屈折。猜疑心と嫉妬心。キャンパスアジア構想では文科系がうくいかない。歴史認識の存在。従軍慰安婦南京大虐殺について自信を持って意見を言えるか?「世界」にモンゴル。東芝問題は日本企業の情報力・インテリジェンスの弱さが原因。」

 

「名言との対話」12月2日。ヴェルニー「政治的事件のとばっちりを受けたものの、事業中断はできない」

フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny1837年12月2日 - 1908年5月2日)はフランス技術者1865年から1876年にかけて横須賀造兵廠横須賀海軍施設ドック灯台、その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援した。

馴染みのない名前だが、ヴェルニーはフランスの造船技術者で、幕府の招きで明治維新の前年1865年に来日し、横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所、横須賀海軍工しょう)を建設するなど活躍した人物である。1869年には観音崎に日本最初の様式灯台を設置している。

この横須賀製鉄所建設の日本の幕府側の責任者は、小栗上野介忠順(1827−1868年)だった。世界に肩を並べるには、日本の海軍力・海軍力整備が急務という考えから、資金難を乗り越えて、実行した。この製鉄所には、フランス人25人、日本の判任管72人、等外吏121人、番人20人、筆算雇27人、職工1344人、請負職工等100ないし450人を抱えていた。小栗は薩長への主戦論を唱え、1868年に斬首されるのだが、造船と修理にあたった横須賀製鉄所建設の功績は大きく、司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記している。後年日露戦争の英雄東郷平八郎は、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」とし、地方の山村に隠棲していた遺族を捜し出し礼を述べた。大隈重信が後年、「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と発言している。ヴェルニーはその小栗と二人三脚で大事業を完成させた。

JR横須賀駅は湾に面しているが、そこにヴェルニー公園があり、その一角に瀟洒なヴェルニー記念館が建っている公園には、ヴェルニーと小栗の銅像が並んで建っており、二人の功績をたたえている。

戊辰戦争の勃発によって、フランス人には退去の指示がでたが、冒頭の言葉でヴェルニーは拒否し横須賀に留まった。新政府に接収されてフランス人の解雇と工事中断を要請されたが、ヴェルニー等は強硬に反対し継続し完成させている。この江戸幕府が着手して築いた財産が明治新政府の重要な資産となって近代国家の建設が軌道に乗ったのである。