「名言との対話」第26回「土屋文明」をリリース

久恒啓一の「名言との対話」第26回「土屋文明

「100歳人生を生き抜くセンテナリアンに学ぶ第4弾。「アララギ」の選者から編集発行人となり、ライフワークの万葉集に関する著書も多数ある土屋文明。短歌とともに生き抜いた生涯は多くの人に勇気を与えました。」

 

中津から東京まで、オーディブルを聞く。

講演:なかにし礼長崎ぶらぶら節に出会う」。35年4000曲を作詞。300曲がヒット。技術・テクニック。何科が降りてくるのはその10分の一。無限と永遠。わたしゃ涙に暮れみなと。満州の夕陽と蒙古風。不思議なレコード。やまたのおろち

講演:城山三郎「人間的魅力について」。城山三郎『男子の本懐』--「信念」の浜口雄幸首相1870年生。東京駅で暗殺。幣原喜重郎(1872年生)は駐ロシア大使・広田弘毅1878年生)の見送り。浜口の『随感録』。真珠王・御木本幸吉も展望車から見ていた。御木本については永井龍男が伝記を書いている。情報、感度。、、、。「力を貸したくなる」総理・鈴木善幸。「卑ではない」国鉄総裁・石田礼助

福岡空港では、大相撲の照の富士らをみた。

 

「名言との対話」12月12日。エドヴァルド・ムンク「私は病気を遠ざけたくはない。私の芸術が病気に負うところは、実は大きいのだ」

エドヴァルド・ムンクEdvard Munch (ノルウェー語: 1863年12月12日 - 1944年1月23日)は、19世紀-20世紀ノルウェー出身の画家。「叫び」の作者。

パリ留学時代には、「もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ」という「サン=クルー宣言」を書き残している。

生への不安はムンクアルコール依存症にし、暴力性や対人恐怖症があらわれ、1908年には精神病院に入院した。1909年には健康と精神の落ち着きを取り戻して退院するのだが、作品自体は緊張感が失われてしまう。

自然を描くことを至情とした芸術ではなく、ムンクをはじめとする世紀末の芸術家たちは、不安に満ちた「内部の世界」を追求した。「芸術は自然の対立物である。芸術作品は、人間の内部からのみ生まれるものであって、それは取りも直さず、人間の神経、心臓、頭脳、眼を通して現れてきた形象にほかならない。芸術とは、結晶への人間の衝動なのである。」とムンクは述べている。

 「僕は、2人の友人と散歩していた。日が沈んだ。突然空が血のように赤く染まり、僕は憂鬱な気配に襲われた。立ち止まり、欄干に寄りかかった。青黒いフィヨルドと市街の上空に、血のような、炎を吐く舌のような空が広がっていた。僕は一人不安に震えながら立ちすくんでいた。自然を貫く、ひどく大きな、終わりのない叫びを、僕はその時感じたのだ。」。それが代表作『叫び』である。個人所有の『叫び』は、96億円で落札されてニュースとなった。

体を痛めつける病魔と、心を痛めつける狂気は、ノルウェーの国民的画家・ムンクを育てた黒い天使だった。そのことをムンクは自覚していた。「僕の芸術は自己告白だった」というムンクという船の舵は不安と病魔だったのだ。