トレンドウオッチャー第10回「AIスピーカーが暮らしを変える」。ラウンジで「ちょい飲み会」。

本日の夕方は、大学のラウンジで飯田先生が発起人のちょい飲み会。

入れ替わりで10数人の先生たちが集合。ちょくちょくやりましょう!f:id:k-hisatune:20171218212514j:image

f:id:k-hisatune:20171218212539j:image

f:id:k-hisatune:20171218212558j:image

 

16時:杉田学部長:来年度人事についての相談。

 

第10回のトレンドウオッチャー「AIスピーカーが暮らしを変える」

www.youtube.comwww.tama.ac.jp

「名言との対話」。12月18日。志賀潔「なにごともまじめに しんぼう強く 元気よく やりとおせば きっと りっぱなしごとを なしとげることが できます」

 志賀 潔(しが きよし、1871年2月7日明治3年12月18日) - 1957年昭和32年)1月25日)は、日本の医学者細菌学者である。

志賀潔帝国大学医科大学を卒業し、大日本私立衛生会伝染病研究所に入所、北里柴三郎に師事する。27歳で赤痢菌を発見する。赤痢菌の属名は志賀に因んでShigellaとされた。再度のドイツに留学後には、恩師・北里柴三郎の伝染病研究所退職に伴い自身も退職し、新たに創設された北里研究所に入所する。慶応義塾大学教授を経て、朝鮮総督府医院長・京城医学専門学校長、新設の京城帝国大学医学部長、そして58歳で総長に就任した。1944年文化勲章仙台市名誉市民。

「人が病気にならない研究をしよう」

「先人の跡を師とせず、先人の心を師とすべし」

「自ら信ずる所篤ければ、成果自ら到る」

宮城県亘理町の海岸で東日本大震災で被災した中浜小学校を2016年10月に訪問したことがある。わずか20分の間に津波が4波襲来した。1メートルの地盤かさ上げ、適切な誘導、屋根裏部屋の存在が小学生全員の命を救った。この津波で斃れたままになっている碑には、明治9年には6尺、昭和8年には7尺5寸の津波が襲ったとの記述がある。今回の3・11は10メートルという高さだった。

この亘理は志賀潔が晩年の1949年以来過ごした温暖な地である。高台にあった志賀潔の別荘(貴洋翠荘)は最近の火事で燃えてしまったのだが、中浜小学校にある倒れた碑には志賀潔の素晴らしい言葉が刻まれていた。それが昭和33年5月5日のこどもの日の日付の冒頭の言葉である。どのような仕事も「まじめに、しんぼう強く 元気よく やりとおせば」、成果はあがる。世界的細菌学者・志賀潔は、そういう当たり前だが、深い真実の言葉を故郷の小学生たちに贈ったのである。