多摩:「事業構想論」で講義、教授会。上野:「北斎とジャポニズム」展、「南方熊楠」展。広尾:野田先生を囲む会。

9時:「事業構想論」の授業でゲスト講義:テーマは「大学改革の『多摩大モデル』。問題解決と事業構想。事業構想とは何か。多摩大再生の戦略と現在、そして未来。

 10時:学部運営委員会。教授会前の意思統一。

 10時40分:教授会。580頁のデジタル資料。

 12時20分:パソコン関係会議。

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  夜までの空き時間を使って上野へ。

国立西洋美術館で開催中の「北斎ジャポニズム」展。

国立科学博物館で開催中の「南方熊楠 100年早かった智の人」展。

 17時:赤坂の野田事務所でBMネットワークの高橋茂人さんと待ち合わせ。

18時半:広尾のレストランでで野田先生囲む会に出席。

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以下、名刺交換した方々たち。

NIインテリジェントイニシアティブの西野会長(NPO法人CeFIL理事)と再会。SELTECHの井川さん(総務・人事マネジャー。多摩大で一緒だった)。オーエスグループの奥村代表(岡山で会っている)。浜銀総研の佐伯部長。エムオーテックスの河之口社長。木村税理士。ミキフーズの井沢社長。伊藤忠商事の中井さん。玉川大学の小酒井先生。CylanceJapanの金城社長。かぜの子チェーンの成田さん。仙台の陽季亭の八田美夕店主。アトリエ・マ・ヌー主宰の力丸さん(宮城大久恒ゼミ一期生)。トイレの白倉さん。弁護士の石橋さん(宮城大久恒ゼミ)。

 

「名言との対話」12月20日。藤本定義「おい哲(川上哲治監督)!うちの豊(江夏豊投手)を乱暴に使いやがって!この馬鹿野郎!」

藤本 定義(ふじもと さだよし、1904年12月20日 - 1981年2月18日)は、愛媛県松山市生まれのプロ野球監督東京巨人軍初代監督。

9シーズンで7度の優勝という巨人軍第一次黄金期を築き1942年シーズン終了後に辞任。1946年パシフィックの監督として球界に復帰。選手の待遇改善のために日本野球選手会〔現:日本プロ野球選手会〕を発足させ初代会長に就任した。1948年から1956年まで金星スターズ(1949年からは大映スターズに球団名変更)の監督。1957年から1959年阪急ブレーブス監督。1960年阪神のヘッド兼投手コーチ、1961年途中から阪神監督に就任。1962年には「打倒巨人」を掲げて1962年1964年にリーグ優勝。1968年勇退。監督としての実働期間29年は歴代最長である。「先発ローテーション」を本格的に導入。エースの連続起用を指して「30勝投手を出すのは監督の恥」と批判した。通算成績は3200試合で1657勝1450敗93分。勝率.533。リーグ優勝9回。

「(自分は監督として)誠実、愛情、根気、この三つで選手に対峙してきた」

「敵を知り、味方を知って勝つのは「一流」。敵を知り、味方を知らず勝つのは「二流」。敵も知らず、味方もしらずに勝つのは「三流」。全部しらずに負ける奴は「四流」だなあ」

オールスターで川上監督が阪神の江夏を3連投させたため、阪神巨人戦の試合前において、阪神の藤本は巨人の川上を阪神ベンチに呼び出しものすごい剣幕で叱った。ライバル球団の監督を叱るという出来事に名監督川上は直立不動で藤本の話を聞いていたという。江夏の回想である。この事件は、2017年12月現在、江夏が連載中の日経新聞私の履歴書」にでてくるだろうか。