第9期インターゼミの最終発表会--サービスエンタメ班・AI班・アジアダイナミズム班・多摩学班

14時半:グランドパレスホテル:杉田学部長と来年度の運営について意見交換。

16時:九段サテライトでインターゼミの最終発表会。以下、学長コメント。

・サービスエンターテイメント班「ショッピングモールからみる消費文化」

日本の貧困化の中で消費がどうなっているのか。ショッピングセンター「ひまつぶしができる」という視点は面白い。デパートの落ち込みにも通じる、デパートはひまつぶしができない。スマホ命。人生が空ろに。SCにはユニクロファンケルニトリ、、。デフレ型ビジネスモデル企業。

・AI班「高齢者の明日へ--AIを活かし共生の道をひらく」

時代の中心テーマ。AIスピーカーは便利だが人間がダメになる。価値観の問題。老人と若者には尊敬と期待のコネクトが重要。共通のテーマ、プロジェクト。ジェロントロジーは異次元高齢化社会社会工学。参画と活用のダイナミズム。3500の公共図書館貸本屋化。文庫の図書館、ゼミ、カフェ機能に注目。生きた図書館。ネットワークと連携。参画のプラットフォーム。藤沢SSTの見守りへの注目。

・アジアダイナミズム班「モンゴル帝国のユーラシア興隆史」

世界観が変わる。重層的歴史観。日本はモンゴル研究が進んでいる。ハンガリー人にも蒙古斑。韃靼・タタール。タルタル(地獄が語源、潰す、ミンチ状)。司馬遼太郎「モンゴル紀行」。岡田、杉山。西洋史からの史観。モンゴル中心史観(中国の相対化)。中華史観(明は元の王子を沖縄に流した。ゆるやか)。日本にとってのモンゴルという視点(満蒙問題。「徳王の研究」内モンゴルの末裔の傀儡化の野望)。

・多摩学班「若者にとって魅力ある多摩地域の創生--若者呼び込みにむけた提案」

多摩は都市郊外型のモデル。サラリーマンのキャリアを持つ高学歴高齢者。スキルのデータベース化。ビッグデータ。語学、、。リニア新幹線で品川と甲府が10分。高齢者対応の若者によるビジネスモデル。多摩型ウーバー。コレクティブハウス多摩。交流の中心軸、思想、リーダーが必要。

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 帰りは新宿まで水盛先生と雑談。その後は、原稿のブラッシュアップ作業で南大沢まで。

 

「名言との対話」。12月23日。森戸辰男「何といっても教育の中心は教師です。いかによい制度ができても、いくらよい指導精神が紙の上ででき上がりましても、いくらよいカリキュラムや教育方法が考案されましても、よい教師がいなければよい教育は行えません」

森戸 辰男(もりと たつお、1888年明治21年12月23日 - 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者社会思想家教育者(初代広島大学学長)、政治家文部大臣)。

第一高等学校時代に新渡戸稲造校長の倫理の講義に感銘を受ける。東京帝大法科大学経済学科を卒業後、大学に残った。大内兵衛編集の機関誌「経済学研究」にロシアの無政府主義者クロポトキンの論文の翻訳を発表し、学内から排撃を受け、大審院で有罪とない失職。森戸事件と呼ばれる。大原社会問題研究所に迎えられる。戦後は日本社会党の代議士に当選、片山哲・芦田内閣で文部大臣をつとめた。教育を志し1950年政界を去り、原爆の惨禍の残る広島の広島大学学長として13年間尽力する。

大原社会問題研究所労働科学研究所理事長。全国放送教育研究会連盟理事長。NHK学園高等学校校長、能力開発研究所理事長。日本図書館協会会長。国語審議会会長。松下視聴覚教育研究財団理事長。日本教育会会長。森戸は教育界の役職をほとんど独占した観があるほど、戦後教育改革の手直しで活躍した人物である。

1966年には中教審会長として愛国心や遵法精神を説いた「期待される人間像」を答申している。世間の話題にもなっており、当時高校生の私はこの答申を題材にした作文を書いた記憶がありよく覚えている。また1971年には文部大臣の諮問機関・中央教育審議会会長として明治、戦後に続く「第三の教育改革」を答申(四六答申)している。

その森戸の教育論の中心は「よい教師」を創り出すことだった。制度、カリキュラム、教育方法などのインフラも重要だが、やはり教育は現場の教師の教育力に依るところがもっとも大きい。いかにして「よい教師」になるかは、教育現場にいる者の最大のテーマだ。