「WIN21」で講演

「WIN21」という勉強会で講演。東京八重洲ホール。19時から。

「図で考えれば、世界が見える」というテーマで20人ほどの人が対象。

会計事務所。製薬。外資系銀行。飲食。弁護士。電算。財務。電気。専修大学。法政大学。など。二次会は酒場で。

ーーー

13時半:宮地事務局長と人事の相談。

 

「名言との対話」1月28日。山階芳麿「保護の仕事をやる以上、滅ぼさないようにしなければならない」

山階 芳麿(やましな よしまろ、1900年明治33年)7月5日 - 1989年平成元年)1月28日)は、日本の元皇族山階鳥類研究所の創設者。第1級ゴールデンアーク勲章受勲。ジャン・デラクール賞受賞。

昭和天皇とは実母(範子妃)、香淳皇后とは継母(常子妃)を通じての従兄にあたる。昭和天皇の一つ年上で、子ども時代には一緒によく遊んでいる。陸軍士官学校(33期)を経て陸軍少尉に任官。砲兵将校となる。1920年、、勲一等旭日桐花大綬章受章。臣籍降下を願い出る。大正天皇から山階の家名と侯爵の爵位を与えられ陸軍砲兵中尉となる。動物学研究の望みを断ち難く、軍を退役する。東京帝国大学理学部動物学科選科修了。1932年昭和7年)、山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館を私費を投じて設立。北海道大学から理学博士号を授与される。鳥類の染色体の研究に取り組み、1947年(昭和22年)に鳥類の分類に染色体による分類法を導入。1977年(昭和52年)、鳥学の世界のノーベル賞とも言われるジャン・デラクール賞を受賞。1978年(昭和53年)、「世界の生物保護に功績があった」としてオランダ王室から第1級ゴールデンアーク勲章を受章した。

山階芳麿の人生は日本経済新聞私の履歴書」を読むとよくわかる。6歳の誕生日には「どうしても鳥の標本が欲しい」と両親に願って、ガラス箱に入った剥製(はくせい)の一つがいのオシドリをプレゼントしてもらった。それ以後、誕生日には鳥の標本をもらう習慣となった。

GHQにより夢かなう 定着した「バード・ウイーク」の回では、バード・ウイーク(愛鳥週間)の設定。青少年教育のための雑誌「私たちの自然」の発行を書いた。「トキ、絶滅への道防ぐ 幸いにも深まっていく理解」では、トキの保護の話題だ。

最終回は「世界の仲間の贈り物 鳥のためにまだまだがんばる」と題して世界の鳥類学者の中から、鳥の研究、保護、飼育のすべての面で世界的な成果をあげた人を選ぶ「鳥類学者のノーベル賞」といわれるデラクール賞を受賞の話題であった。

「保護の仕事をやる以上、滅ぼさないようにしなければならない。文化財保護法の現代的改正であり、私の余生はそのために尽くしたいと思っている」と78歳の芳麿は決意を述べその通りの月日を送った。「鳥」一筋の生涯であった。よく名前を聞く山階鳥類研究所の活躍や、我が国の鳥学研究の発展と鳥類の保護活動に寄与した個人・団体を顕彰する山階芳麿賞の存在で山階芳麿の業績は長く記憶されることになった。