読み漁り2--富本憲吉。西堀栄三郎。鳥井信一郎。山崎朋子。古賀春江。

 
以下、注文。
近代の陶工・富本憲吉 (ふたばらいふ新書)

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石橋を叩けば渡れない

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まかせて伸ばす―サントリーの「連星」経営

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「名言との対話(平成命日編)」2月2日。山内一弘「ボールには打つところが5ヶ所ある。内側、外側、上、下、真ん中だ」

山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年5月1日 - 2009年2月2日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手外野手、右投右打)・コーチ監督野球解説者評論家

生涯打率2割9分5厘。4年連続3割。18年のうち半分の10年で3割。2271本安打。396ホームラン。1286打点。オルスター16回出場でホームラン8本、打率3割1分4厘で「オールスター男」「お祭り男」「賞金泥棒」と呼ばれた。

ノンプロからテスト生として毎日オリオンズでに入団、広岡、杉下、ヤンキースのディッキーコーチなど、山内はオープン戦、オールスターを含めあらゆる機会に質問をくり返し、勉強していく。そういう姿勢がシュート打ちの名人となり、最後は「打撃の職人」と呼ばれるようになっていく。移籍先の阪神、広島でも、この名選手山内は素振りを欠かさない。その姿勢が山本浩二、衣笠ら伸び盛りの若い選手のお手本になった。背番号8は山本浩二が受け継いだ。野村克也は山内の打席を穴があくほど観察し、山内が惜しくも逃した三冠王になった。

野球少年たちには、野球をするために必要なのは、スピード、パワー、強いからだ、それにセンスであるとし、強い体をつくり、次に技術に向かうことを提唱した。野球センスも7-8割は自分で作れるものだと山内は考えていた。イスに坐って水平振り。壁当ての守備練習。生卵を扱うようにボールを殺して、やさしく捕る。素手でキャッチボール。人差し指のつけ根を中心に捕球。、、。電車では看板の文字を瞬間的に読み取る訓練。階段はつま先で2ー3段ずつかけ上がる。膝を少し曲げて道を歩く。テレビで好投手のフォームを観察しガラス戸を前に素振りをする。

山内は徹底した体調管理・自己管理の人だった。酒を絶ち、マッサージ師を雇い、当時珍しいビデオ撮影での分析を行う、足腰のために自転車通勤。そして庭にバッティング練習場を作った。

指導者としては徹底的に教えるため、始めたら止まらないという意味で「かっぱえびせん」の異名をとる。おかしいのは趣味の欄には「コーチ」と書かれていたことだ。掛布雅之、高橋慶彦田淵幸一真弓明信原辰徳といった選手達を指導し、その打撃理論で数々の名打者を育てた[

冒頭に掲げた「ボールには5箇所打つところがある」は、広島の高橋慶彦にコーチした時の言葉である。高橋はこんなことは初めて聞いたと驚いている。研究心が垣間見えるエピソードだ。一筋に取り組む職人的姿勢は山内自身をつくったのにとどまらず、同僚、後輩に多くの影響を与えた。それがプロ野球の交流に貢献を果たすことになった。どのような分野でも、こういう人は貴重である。