多摩大総研運営委員会。学園本部で折衝。

「副学長日誌・志塾の風」180208

多摩キャンパス

 ・秘書とスケジュール調整。打ち合わせ。

 ・11時:杉田学部長と学園本部との折衝資料の検討

 ・13時:多摩大学総合研究所運営委員会:松本副所長、金先生、彩藤先生、中庭先生、宮地事務局長、高野課長。冒頭に私から所長挨拶。来年度以降の事業計画案(大いなる多摩学会・多摩大出版会、、)と新体制案(新運営委員と出版会の企画編集委員)の発表。

 

目黒の学園本部

15時半から18時:杉田学部長と一緒に理事長面談。

 

 

3月20日。前原一誠「吾今国の為に死す、死すとも君恩に背かず。人事通塞(つうそく)あり、乾坤我が魂を弔さん」

前原 一誠(まえばら いっせい)は、日本武士長州藩士)。は一誠。通称は八十郎、彦太郎。倒幕運動志士として活躍したが、明治維新後、萩の乱の首謀者として処刑された。位階は贈従四位大正5年(1916年)4月11日)。維新の十傑の1人。

師の吉田松陰は人を見る眼力に優れていた。「一誠は勇あり智あり、誠実人に過ぐ。、、其の才は玄瑞に及ばず、その識は高杉に及ばず、しかれども其人物の完全なる、二子も亦八十に及ばざること遠し、、」と評した。 松陰は「歴史を読んで賢人や豪傑の言動を知り、それによって志気を激発するのが最高である」とした。学問は志を養うためにあるというのが松下村塾の精神であった。

一誠は高杉らと下関に挙兵して藩権力を奪取し、用所役右筆や干城隊頭取として倒幕活動に尽力した。長州征伐では小倉口の参謀心得として参戦、明治元年1868年)の戊辰戦争では北越戦争に出兵し、参謀として長岡城攻略戦など会津戦線で活躍する。明治3年(1870年)、戦功を賞されて賞典禄600石を賜る。維新後は越後府判事(次官)や参議を勤める。大村益次郎の死後は兵部大輔を兼ねた。大村の方針である「国民皆兵」路線(徴兵令)に反対して木戸孝允と対立する。

 1868年に成った明治維新は、1874年の江藤新平佐賀の乱、1876年の太田黒伴雄らの熊本神風連の乱、1876年の宮崎車之助らの秋月の乱、1876年の前原一誠の乱、を経て、19877年の西郷隆盛を押し立てた西南戦争の10年で不平士族の乱は終結する。

 越後府判事時代には年貢半減令と信濃川の分水計画で執拗に新政府に迫った。 直情径行であるが、動き出すときは私心がない。佐久間象山が言う「西洋の芸、東洋の道徳」の東洋の道徳、つまり東方の道を前原一誠は実現しようとしたのである。 もう一つの維新がそこにあった。

 

 

「名言との対話(平成命日編)」2月8日。江副浩正「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」

江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年昭和11年)6月12日 - 2013年平成25年)2月8日)は、日本実業家。特例財団法人江副育英会理事長。株式会社リクルートの創業者。

江副浩正は東大教育学部卒業後の1960年3月、リクルート社の前身となる「大学新聞広告社」を創業した。就職情報誌を女性向け、技術者向け、アルバイト、と細分化した就職情報誌を発刊。また住宅、進学、人材派遣、中古車などの情報誌を作り続ける。事業は雑誌媒体にとどまらず、会社案内、入学案内、入社模擬試験、各憧セミナー、海外ツアーから人材斡旋、スキー場開発、農場経営にまで及んだ。そして結婚など人生の節目需要をビジネスに結び付け、就職情報を中心とした巨大企業グループに成長させた。

「自分が脅威を感じるほどの部下を持つマネージャーは幸せである」

「2位になることは我々にとっての死を意味する」

そして「戦後を代表するベンチャー起業家」となった江副は戦後最大の疑獄事件を起こす。未公開で値上がり確実な不動産事業のリクルートコスモス社の株式を、政財官界の要人70人に譲渡し、「ぬれ手で粟」との強い非難を浴びて、政治家・官僚・経営者など12人が贈収賄で立件され有罪となった。竹下首相も「国民に政治不信を招いた」として内閣総辞職を表明。「東大が生んだ戦後最大の起業家」と言われた江副自身も贈賄罪で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けて、経営の第一線から退く。その3年後にはリクルート株を売却、完全にリクルートを離れた。

その江副浩正の冒頭の言葉はリクルートの精神となって、多くの人材を生んでいる。38才定年制は、IT、不動産、教育などの経営トップの多くのリクルート出身者を生んだ。私もビジネスマン時代にはリクルート出身者に会う機会が多かった。この点、リクルートソニーと同じく人材の宝庫という印象を受けた。『江副浩正』(馬場マコト・土屋洋)によれば、「江副浩正を信奉する人、薫陶を受けた人」として以下の人物があがっている。孫正義大前研一澤田秀雄堀江貴文藤田晋、井上高志、宇野康秀、江幡哲也、小笹芳央、鎌田和彦、坂本健、島田亨、島田雅文、杉本哲哉、須藤憲司、経沢香保子、廣岡哲也藤原和博、船津康次、町田公志、村井満、安川秀俊、渡瀬ひろみ など。

「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」という短い強烈なメッセージは、若者の野心を引き出し、飛躍し続ける多くの事業家を育てた。江副浩正のこの業績は忘れてはならない。自分の最大の教育者は自分自身なのだ。