NPO法人知的生産の技術研究会の総会を開催--50周年に向けて。日経の中澤編集委員の「俳句」連載が始まった。

創立48周年を迎える NPO法人知的生産の技術研究会の総会を代々木で開催。

 2018年度活動方針。

・50周年の2020年から第二の創業活動を行う。それまでの2年間は準備期間として、組織運営、財政、セミナー運営、出版活動など、近代化を推進する。

・人事:会長・八木哲郎。理事長・久恒啓一。副理事長・高橋茂人。副理事長・伊藤松郎(知研・岡山)。理事事務局長・福島哲治。理事・水谷哲也(知研・関西)。理事・玉城判(知研・おきなわ)。理事・高橋泰行(知研・九州)。大槻一博(知研・東北)。武内恒則(知研・宮島)。今後立ち上がる地域の代表は理事とする。

・会員は3割増とした予算案を可決。

・2020年10月17日・18日は梅棹忠夫先生の民博・サロンなど聖地訪問の大会とする。

・東京のセミナー会場を、「梅棹サロン」と呼ぶ。

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 出た意見ですぐに採用するものは、以下。HPに各地域のセミナー情報がみえるようにする。各地のHPを本部にリンク。機関誌「知研フォーラム」に交流コーナー。幹事の新設(小野・根岸・根岸・猪俣・池淵、、)。

知研・関西は30周年。知研・岡山は20周年、、。5月のセミナー(第三金曜日)は会員の猪俣さんの「中国国営企業のトップをつとめて」。

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 友人の中澤義則さん(日経新聞編集委員)が取り組んでいた「俳句」の記事の連載が始まった。31面で大きな記事である。

本日の朝刊は「俳句 言葉の宇宙探訪問」の1回目は「松尾芭蕉」だった。取材先は三重県の県庁マン安保雅司、蕉郷句会、芭蕉翁記念館の馬岡裕子、旧伊賀町の生家跡、旧上野市の建物、、、。「芭蕉は勉強家で努力家、人間愛にあふれた人」「農業体験が感性の原点に」「二つの生家」など。「有名、異端、郷土の俳人群像を俳句の素人が追いかける」この連載を楽しみにしよう。

夕刊では「遠みち・近みち」の欄に、同じく中澤さんの「連句 言葉の海で遊ぶ」が蕙掲載されていた。こちらは早稲田の「稲門連句会」の取材兼体験の報告だ。中澤さんはすっかり俳句にはまっているようだ。

この中澤さんに、NPO法人知的生産の技術研究会の3月のセミナーの講師をお願いしている。NPO法人 知的生産の技術研究会

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「名言との対話」3月3日。村松増美「私も英語が話せなかった」

村松 増美(むらまつ ますみ、1930年7月31日 - 2013年3月3日)は、同時通訳の草分け。

 名前から女性を連想させるが、男性である。同時通訳をこなす英語の達人として有名だ。1969年のアポロ11号の月面着陸のテレビ中継の同時通訳を行うなど大活躍した。

早稲田大を中退し、在日米軍の通訳になる。1956年には日本生産性本部の駐米通訳としてアメリカに滞在。1960年にはワシントンの日米貿易協議会調査部長。滞米中にジョジワシントン大学国際経済学を学ぶ。1965年、(株)サイマル・インターナショナルを創設し、社長、会長。先進国サミットでは1975年の初回から9回まで通訳として参加している。 2013年の訃報のニュースでは「「ミスター同時通訳」村松増美」氏が死去」と説明された。このニュースを聞いた人たちは、あの温顔を思い浮かべただろう。

この原稿を書くにあたって久しぶりにyoutube村松増美の英語のスピーチを聞いてみたが、クセのない、実にわかりやすい英語だった。

「アポロ月着陸の実況同時通訳をお聞きになっておられない世代の方がたも、テレビの同時通訳で、英語に改めて興味をもたれ、私の初めての本を読んでくださるのは、とても嬉しいです」。著書『私も英語が話せなかった』はベストセラーとなった。国際化時代の人間国宝村松増美も、英語がだめだったという逸話が満載の本である。珍訳、迷訳、失敗談のユーモアあふれる筆致が楽しめる。後に国際ユーモア学会の理事をつとめた著者のユーモア感覚で書かれたこの本は、英語を学ぼうとした人からよく読まれた。英語の達人が私はこうやって英語を克服したというタイトルではなく、「私も英語を話せなかった」という真逆のメッセージは当時の日本人を大いに励ました。