二つの 「千日回峰行」--比叡山と大峯山。自利行から利他行(衆生救済)へ。

二つの 「千日回峰行」。

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千日回峰行比叡山)。天台宗比叡山延暦寺の回峰行。7年。3万3千キロ余。北嶺大行満大阿闍梨

志賀と京都にまたがる比叡山で行われる。天台宗の回峰行。平安時代に相応が始める。7年間。過去51人が達成。戦後は14人。深夜2時出発。260箇所で礼拝。約30キロ。6時間で巡拝。笠、白装束、草鞋履き。

1-3年目は年間100日。4-5年目は200日。5年700日を満行すると「堂入り」。入堂前に生き葬式。足掛け9日間の断食・断水・断眠の4無行に入る。深夜2時に堂を出て閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供える。それ以外は堂中で真言を10万回唱える。満了すると行者は生身の不動明王である阿闍梨となる。これを機に自利行から衆生救済の利他行に入る。

6年目はこれまでの行程に赤山禅院往復を加えた1日60キロの行程が100日。7年目は200日。前半100日は京都大回りの84キロ。後半は比叡山中の30キロ。計算すると合計3万3千キロ余。

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千日回峰行(大峯)。金峯山修験本宗金峯山寺の回峰行。9年。4万8千キロ。千日回峰行大阿闍梨

高低差1300mの険しい奈良の峰山の往復48キロを、毎年5月3日から9月初旬まで16時間かけて上下する。年120日余。足掛け9年で4万8千キロを歩く(地球一周は約4万キロ)。1300年の歴史の中で萬行者はわずか2人。2人目は仙台市秋保の慈眼寺住職の塩沼亮潤(昭和43年生)。

深夜11時半に起床。午前0時半に出発、帰ってくるのは15時半。掃除・洗濯などで18時に宿坊。日誌をつけた後、寝るのは23時半までの4時間半。満行後は、10年目に9日間の四無行。飲まず、食べず、寝ず、横にならず。(「致知」4月号より)

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 「名言との対話」3月12日。桂文枝(五代目)「無知であることは恥ずかしくない。無知に甘えることこそが恥ずかしいのだ」

5代目文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 - 2005年3月12日)は上方噺家上方落語家)。

6代目笑福亭松鶴3代目桂米朝3代目桂春団治と並び、昭和の「上方落語四天王」と言われ、吉本興業に所属し、衰退していた上方落語界の復興を支えた。 この名跡は社団法人上方落語協会会長の桂三枝が六代 桂 文枝を継いでいる。

TBS系クイズ番組『東大王』(日曜夜7時)に出演した東大大学院修士課程1年の伊沢拓司は、落語家・桂文枝さん(5代目)の言葉を知り、座右の銘にしていると語っている。知らないことを知ったように取り繕うのではなく、知らないことなら知ろうという姿勢に感心したのだろう。

5代目桂文枝は無知を克服しようという心構えで、日々努力し噺家として大成したのだろう。無知に甘えることは恥ずかしい。自分を甘やかしてはいけない。人生は終わりなき学びの旅なのだ。

 

 

 

 

 

 

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