日経「私の履歴書」ライターが語る自分史の書き方---「場面(シーン)を書け」

知研セミナー(3月16日):中沢義則(日経新聞編集委員。日経「詩歌教養」欄で「俳句 言葉の宇宙探訪」を連載中。)

テーマ:日経「私の履歴書」ライターが語る自分史の書き方。

私の履歴書」執筆で心がけていること。

・メインテーマ(大見出し)を決める:人となりや業績を一言で表す見出しを決める。「SFに恋して半世紀」「三代目ぼんぼん奮戦記」「プレハブ住宅を背負って半世紀」「テレビを愛して50年」「仏蘭西料理こそ我が人生」「マンガは芸術だ」。30回分の見出し案をつくる。

・その人らしさを出す:一人称。僕、俺、水木さん。「その人語」「口癖」「姿勢や座標軸を表す言葉」を大事に。「ロードマップをつくるんです」「結局大事なのは人なんです、人材が宝物だよなあ」「僕はね、嫌いな奴は優雅に無視するの」「○○なわけで」「そうそう、そうなんだよ」「師匠の言うことには、、どんなに理不尽なことでも従うんです。理不尽だと思うのは私の芸が未熟だから」「私はリレーの走者なんです。いい形でバトンを次に渡せばいいんですよ」

・人物を動かして書く:飽きられる履歴書には動きがない。社長室のでっかいイスに座った人の話を聞き書きしている感じでは読まれない。「現場での話を極力大事にする」「人とのやり取りや会話を多く混ぜ込む」「大人の目線で子ども時代を書かず、子どもの世界に人を放り込む」「色、匂い、手触りを聞く」「泣いたこと、笑ったこと、怒ったこと、恥ずかしかったことを取材する」「左脳より右脳を使うよう心がける」

・失敗、挫折、不遇をどう書くか:企業トップだけでなく、文化人や芸能人も話したがらない。失敗談や下積みの話を延々と読まされても読者は退屈する。成功の糧としての失敗、人間味を彷彿おさせる挫折体験、不遇なときに支えとなったことを聞き出すように努める。劣等生が最後に成功を収めるストーリーが読者に快感を与える。起伏。

・代筆者の立場をわきまえる:本人の書いてもらいたい事に寄り添って書く。「ライバルとの関係」など、、。

 

「自分史の書き方」私見

・書き始める前に:題名を決める、主題の提示。時系列で書くか、ハイライトが先か。俺か、僕か、私か、おいら(タケシ)、我が輩か、、。書く分量を決めておく。

・どう書くか:気取らず、自分の言葉で、簡潔に。エピソードを具体的に、会話と人の言葉を織り交ぜる。場面(シーン)で書く、自分と人を動かす。泣いたこと、笑ったこと、怒ったこと、恥ずかしかったことを書く。世相、時代、風俗、映画、ラジオ、テレビ、遊び。失敗は明るく、自慢話は面白く。匂い、色、味、音を忘れずに(色気)。誕生、巣立ち、死、別れはさりげなく(子ども、夫婦論へ)。下手でもいい、借り物ではない自分の文体で。自分史は知的活動のベースになる。

 

人生の折々のシーンをあげて振り返ってみようか。

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長池公園の自然館で明日から開催する「八王子の風景」展。

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「名言との対話(平成命日編)」3月17日。「教育の主役は、幼稚園から大学院までの教師だ」

永井 道雄(ながい みちお、1923年3月4日 - 2000年3月17日)は、日本教育社会学者文部大臣第95代)。

京都大学助教授。東京工大教授。朝日新聞論説委員。八王子セミナーハウスなどで教育の実際的な改革に取り組む。1974年には三木内閣で文部大臣に就任し、中学校における主任制の導入、国連大学の誘致に尽力。その後、朝日に戻り、客員論説委員国連大学学長特別顧問、六本木の国際文化会館理事長を歴任した。私も多くの著書やマスメディア、また文部大臣としての活躍を記憶している。

永井文教行政の報告でもある『永井道雄 教育の流れを変えよう』(朝日新聞社)では、大学入試改革、高等教育の格差是正と多様化、ゆとりある充実した小中高の教育、学歴偏重の打破という「四頭立ての馬車」政策を掲げた制度改革にどう立ち向かったが記されている。この報告によると大学入試センター試験の実施、専修学校制度の導入などの高等教育の多様化は進んだとのことである。永井の「富士の峯より 八ケ岳」というスローガンは新鮮な気持ちで聞い記憶がある。

高度成長期に学校教育体系は手段の色を濃くし、マンパワーの要請に走ったという。永井は人間回復をはかる道の幅を広げようとし、トータルな人間となる教育を志向したのである。二年余の文部大臣時時代を振り返り、「こんなにできたというよりも、これしかできなかった、という感が強い」と語っている。

永井のメッセージは、制度改革は教育現場の教師を支援するものであり、主役たちが力一働ける姿を取り戻すためだった。幼稚園から大学院までの教師たるものの果たす役割は大きい。