中津の文化総合誌「邪馬台」2018年春号が届く。通巻206号。
私の連載が17回目になる。季刊だから5年目に入ることになる。今回の「読書悠々」は「モンゴル」の二回目。主に、モンゴルの旅の前に読んだ6冊の本の紹介だ。
井上靖『蒼き狼』。司馬遼太郎『韃靼疾風録』(上巻・下巻)。司馬遼太郎『モンゴル紀行』。司馬遼太郎『草原の記』。岡田英弘『世界史の誕生--モンゴルの発展と伝統』。杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』。
相良照博の「福沢諭吉と西郷隆盛--『丁丑公論』(上)。西南戦争で希代の英傑が賊名を負わされるのを憂えて、隆盛の処分に関する建白書を中津藩士族の名で京都の行在所に提出したものが『丁丑公論』となった。「隆盛は学識に乏しく、寡黙と雖も老練の術あり、武人なりと雖も風采在り、粗野ならず、平生の言行温和なるのみならず、如何なる大事変に際するもその挙動は悠然として余裕あるは、人のあまねく知る所ならずや。、、」「西郷は天下の人物なり。日本は狭いと雖も、国法厳なりと雖も、豈一人をいれる余地あらんや。日本は一日の日本に非ず、国法は万代の国法に非ず、他日この人物を登用の時あるべきなり。これ亦惜しむべし」。
「団塊」の自分史--中津北高校20回生の軌跡は、猪俣範一中国国営企業買収と運営顛末2」。
中山盛男「耶馬溪に生きた山本艸堂翁の掲げたもの5」。山本艸堂(1882-1959年)は『下毛郡史』を書いたジャーナリスト。新聞事業と出版事業。「八面山の南と北に「山本艸堂翁」の顕彰碑がある。著作では、中津古文書。大分県人乃東洋。耶馬渓百年誌。耶馬渓案内記。昭和維新と郷土之人物。中津教育史 : 上。中津古文書などがある。
「時間は万物を征服すると云い、時間は最大の改革家なりとも云ふ」
久恒啓子「邪馬台歌壇」の選者詠。次の世もこの二男一女の母でいたし古きアルバム捲りつついて 「お母さん来世も私を産んでね」と娘のメールあり雪降る夜に
「編集後記」では、「読書悠々」と「北高20回生の回想」が取り上げられていた。
4月には前市長でこの邪馬台編集委員の新貝さん(北高の先輩)が上京するので、北高同級生数人と会うことになった。
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「名言との対話」。3月18日。稲森俊介「一人ひとりの能力を最大限に発揮しよう」
稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - 2011年3月18日)は、日本の実業家。
大学卒業後、味の素につとめ代表取締役専務となる。1990年経営不振のカルピス再建のため出向し翌年社長。反対を押し切って大規模な設備投資と新製品カルピスウオーターのヒットで経営再建を果たす。1995年、古巣の味の素社長に就任。
初恋の味・カルピスは子どもの頃は愛飲した。その後、大人になってカルピスウオーターの登場でまたファンになった。それをヒットさせたのが稲森社長だったのだ。
味の素社長になったときには創業一族のトップに指揮系統の混乱をさせないため今後経営会議に出席しないように要請している。また創業一族の経営介入を断ち切るために会長や取締役名誉会長の退任と自身の社長退任・会長就任と差し違えた。初めての見合いで結婚を決めているなど、出処進退のすっきりした、筋を通す人物だったようである。
冒頭に掲げた言葉は、業績不振に陥ったカルピスを立て直すときの社員に対する明快なメッセージだ。経営の再建にあたっての急所を抑えたマネジメント、トップとしての引き際の見事さなど、この人の人生観などはもっと深追いしたい。