品川キャンパスで大学院入学式。修士課程40名。博士課程4名。ルール形成(1年)2名。
学長:社会人大学院。現代の志塾。決意と覚悟。知の再武装。100歳人生。科学技術の進展。生命科学。1.06%。言語とコミュニケーション。思想・哲学・宗教。慈悲と愛。ジェロントロジー。ルール形成。ソーシャルインベストメント。インターゼミ。
理事長:平成5年に大学院開校。一流の教授陣。志の高い仲間。同窓会ネットワーク。
研究科長:デジタル革命。知の総合化。二刀流。マルチタスキング。
同窓会長:三刀流(仕事・家庭・研究)。OB1000人。人類史の逆流。
現役生(真崎):半年で58冊増。一つの学問ではやっていけない。最新の戦略論を学ぶ。涙ぐむ授業。
新入生代表(亀井):12年間ネンチャー。40歳前で子ども支援の国際NGO。志。同志。
学長と懇談:遅咲きの取材。出版予定。
理事長と懇談:金先生、金野先生が加わる。
「名言との対話」4月7日。岸田衿子「本の中のものと子どもが遊んでくれればいいといつも考えている」
岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年1月5日 - 2011年4月7日)は、日本の詩人・童話作家。
劇作家岸田国士の長女として東京府(現・東京都杉並区)に生まれる。年子の妹は女優の岸田今日子。立教女学院小学校、立教女学院女学校、東京芸術大学油絵科卒業。画家を志すも肺病を患い詩人になる。1954年10月4日、谷川俊太郎と結婚。1956年10月、谷川と離婚。1963年、田村隆一と結婚。1969年7月、田村と離婚。
劇作家の父・岸田国士は法政大学文学部長の野上豊一郎・弥生子夫妻から誘われ父が山荘を建てた。今は北軽井沢というが、北欧風の風車小屋を模した山荘である。父が友人の今井兼次(安曇野の碌山美術館を設計)に設計してもらった。その山小屋に衿子は長く住んだ。
岸田江衿子は1954年の『樹 詩画集』、1955年の『忘れた秋』から始まる童話を載せた著作は、1960年代半ばからほぼ毎年1冊のペースで2001年まで続いている。また童話の翻訳も同じペースで着実に刊行している。そして、テレビアニメ『世界名作劇場』(フジテレビ)で放映された『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』の4作品の主題歌の作詞を手掛けた。
空からの光ともちがう
だれかがともした灯りともちがう
花は じぶんの内側にひかりを持っていて
外側の花びらで 包んでいる
遠くからきこえてくるのではない
近くで誰かが口ずさんでいるのではない
花からひとりでにこぼれるうたがある
ゆきをとかした しずくのように
花の灯りと 花のうたは
いつのまにかふえて
谷間を みたしている
『たいせつな一日』 ( 岸田 衿子 詩集) より
衿子・今日子『ふたりの山小屋だより』(2001年発刊)には、少女時代の木下恵介、三国廉太郎、吉田健一、大岡昇平、福田恒存、三島由紀夫、中村光夫、大江健三郎、武満徹、そして結婚し離婚した谷川俊太郎などとの交流が記されている。この本には「座談会 故郷の大学村」という項があり、幼なじみの谷川俊太郎、衿子、今日子が語り合っている。衿子は「俊ちゃん」と呼び、今日子は「それでお二人が結婚したのが二十九年ですね」とさりげなく言う。そして谷川俊太郎は「衿子さん」と呼んでいる。まるでおとぎ話や童話にでてくる登場人物たちのようだ。
岸田衿子の詩はリズム感のある優しい詩で大人のファンも多く、茨木のり子と並んで現代女性詩人のトップだった。そして子ども時代そのままの感性で、親子のコミュニケーションを通じて、子どもの情操や想像力を育てる童話を書き、子どもたちに語りかけた。ピアニストや画家を志した少女は、詩人・童話作家となった。