ゴールデンウイーク:読むべき本。会うべき人。書くべき原稿。見るべきもの。、、

本日からゴールデンウイーク。休養しながらこの一週間になすべきことを確認した。

読むべき本。会うべき人。書くべき原稿。見るべきもの。、、、、。

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「名言との対話(平成命日編)」4月29日。牧伸二「漫談芸は格闘技である」

牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家。色モノ芸人の集まりである東京演芸協会の会長。

牧伸二は芸能界の「色モノ」ウクレレ漫談の創始者だ。色モノとは非正統という意味である。泉ピン子は弟子にあたる。。最初の芸名は漫談の先駆者・徳川夢声一門から出た師匠の牧野周一からつけてもらった「今何度」である。高校卒業後、温度計を製造している東亜計器に勤めていたからだ。

ウクレレをひきながら「あーあやんなちゃった、おどろいた」で始まるやんなっちゃった節は一世を風靡した。今でも私の耳にも残っている。「フランク永井は 低音の魅力 神戸一郎も低音の魅力 水原弘も低音の魅力 漫談の牧伸二 邸能の魅力 ああやんなっちゃった ああ おどろいた」は、1300番以上も続く歌詞の最初である。

1963年には日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』の司会に起用され、5秒に1回笑わせるテレビ的な番組となった。この人気番組は1978年まで続き15年にわたり司会をつとめた。牧伸二が偉いのはこのままではまとまった芸ができなくなり芸が枯れると考え、この間もキャバレーなどのステージを増やし芸を磨き続けたことだ。

「つかみ」を盗み、「間」を盗み、達人たちのいい部分を盗み、自分のセンスに加え、長い年月をかけて熟成させる。そうしてやっとオリジナルの格闘スタイルが完成させていった。そして「長い休みを取らず芸をやり続ける」ことで芸をさび付かせず、最高のコンディションを維持していく。これが牧伸二の芸の磨き方だった。

牧伸二はビーートたけしを「化け続ける芸人」と呼ぶ。タモリは「緊張感のないお笑いスタイル」でテレビで遊んでいると批評する。ダウンタウンには師匠のいない芸人の欠点の修正法をアドバイスしている。永六輔大橋巨泉はテレビが生んだ「不思議業」と規定する。これが芸の格闘家・牧伸二の確かな目である。

時事ネタを取り入れて漫談を行うには時代の流れに敏感でなければウケナイ。また政治や宗教の風刺、下ネタ、その土地土地に存在するタブーなどはやらない。自分の足で街を歩き、見て、聞いて、観じた「いま」をネタにしなければ、お客さんが笑うような面白いものは出来上がらない。これが牧伸二のポリシーだった。優れた芸人は「時代」を表現し、今を生きる人々の心に共感のさざ波を起こし、笑いをとる。牧伸には油断できない、隙を見せられない、真剣勝負の格闘技の世界を生き抜いた人だったのだ。

牧伸二のウクレレ人生