多摩(リレー講座、、)。品川(大学院運営委員会、、)。九段(多摩大志塾会)。

松本先生、 「事業構想論」の講義で見えた桃原さん(九電ビジネスフロント)と井田さん(ブレイク・フィールド。九大経済卒)と昼食を摂りながら懇談。

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14時。

  ・学長:児玉、音の図書館、国際貢献センター(日本貿易会)、、、。

 ・高橋さん:知研(編集委員会、宮島には会長出席、、、、)

 

リレー講座:寺島学長「日本経済の構造分析--ジェロントロジーへの視界」。

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以下、図メモ。

 21世紀に入って起こっていること:貧困化(中間層の没落)。内向き。不安(アジアの勃興)。100歳人生(ジェロントロジー)。

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17時30分:品川キャンパスで大学院運営委員会に出席。

 終了後、瀧川課長と来週の研究開発機構運営会の打ち合わせ

 

 19時30分:九段サテライトで「多摩大志塾会」のパーティに参加。講師の柳先生(多摩大名誉教授)と懇親、追分さん(社長会。南カルフォルニア大)、、、。学部OBの八木隆さん(プロジェクトクリック代表)のメディアとのタイアップ、、、。

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「名言との対話(平成命日編)。5月24日。西丸震也「やりたいことを、やれる時にやってしまえ」

 西丸 震哉(にしまるしんや、1923年9月5日 - 2012年5月24日)は、日本人の食生態学者、、エッセイスト、探検家、登山家。

 珍しい「震哉」という名前は、関東大震災の直後に生まれたための命名である。農水省の異色官僚であった西丸は57歳で自主退官し「食生態学」を提唱する。現役時代には、映画「ノストラダムスの大予言」に関わる。この映画には、西丸の思想の相当な影響があった。

 1990年に出した著作『41歳寿命説』は衝撃的で大きな話題になった。その主張は、1959年以降に生まれた日本人の半数は41歳で死滅する。そしてぞの前後10数年の間で、同世代の8割が死んでしまうということだった。食と環境という生存条件の悪化は、ナチスガス室と同じになるからという理由だった。環境問題が騒がれていたこともあり、この衝撃的なメッセージは世間を驚かせた。当時、この本を私も読んだ。しかし、この予言は結果的には当たらなかった

 一方で、輸入量が半分以下になったとき、不足分を自給可能なものの大増産で補えるよう態勢を整えよという食糧危機を想定した警鐘は、現在の日本の食糧自給率38%が先進国では圧倒的に低い状況になっている危ない状態を先取りした主張であった。

 西丸の1980年に退官以来の足跡は以下。台湾山脈、パプアニューギニア、アマゾン熱帯雨林、アラスカ、南北両極圏など世界の秘境を踏破。科学、医学、天文など幅広い分野に精通。作詞・作曲、絵画。日本旅行作家協会常任理事、日本山岳会役員、日本熱帯医学協会顧問。なだいなだが提唱した老人党に賛同・上田哲・立川談志と老人党東京の代表の一人。

 2008年には長野県大町に西丸震哉記念館が開館している。活躍の軌跡を伝えるコレクションや、関連資料を展示する記念館だ。パプアニューギニアの部族に関するコレクション、珍しい蝶の標本、探検登山時代の写真やスケッチ、絵画なども展示されている。41歳寿命説を提唱した本人は90歳近くまで、やりたいことをやれる時にやって、名前の通り、世間を震わせのである。

 41歳寿命説―死神が快楽社会を抱きしめ出した (センチュリープレス)