リレー講座:前川喜平「安倍政権下の教育政策」

10時半:研究室で事務処理。

13時:松井さん:高大接続改革の近況報告。

14時:高橋さん:知研北海道。okuno clinic

14時50分:リレー講座:前川喜平「安倍政権下の教育政策」。

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・1980年代の中曽根政権:憲法改正につなげるために、まず国家主義的な供給側の自由拡大のために教育基本法の改正を目指し、1984年に臨教審を設置。結果は逆に学習者の自由拡大の方向の答申が出た。個性重視・生涯学習・変化対応。その流れの中に現在のアクティブラーニングがある。

・第一次安倍政権で教育基本法を改正した。伊吹文科大臣は道徳の教科化はやらなかった。

・第二次安倍政権で教育再生実行会議を設置。下村文科大臣が計画者と実行者を兼ねた。2018年度から徳道教育の教科化が始まった。検定教科書を使用。評価はするが点数化はせずに記述式で評価。教育勅語を使ってもよいという閣議決定

・個人と地球の欠落。戦前回帰。国体思想。家族国家観、、、。

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「名言との対話(平成命日編)」5月31日。佐橋滋「古今東西のそれぞれの分野で偉かったという人の教えを受けてみる。それが本を読むということである」

佐橋 滋(さはし しげる1913年大正2年)4月5日 - 1993年平成5年)5月31日)は日本官僚通商産業事務次官

城山三郎官僚たちの夏』の主人公・風越信吾のモデルとされている。「ミスター通産省」。「佐橋大臣・三木次官」。退官後は天下りをせずに、6年後に新設された、高度成長後の国民の余暇の充実をテーマとした余暇開発センター理事長に就任。「余暇開」は毎年「レジャー白書」を発表し、航空会社にいた私も参考にしていた。

強いリーダーシップと明晰な行動、大胆さ、面倒見のよさ、潔い出処進退、、。過去の官僚像と異なる爽快なイメージは各界において広く評価されファンも多かった。城山三郎は佐橋に高い評価を与え、佐橋のイメージ形成に大きく寄与した。『官僚たちの夏』は心躍りながら読んだものだ。

佐橋の多選の佐藤総理批判は有名だ。「総理大臣のポストが居心地がよいようでは困ったものである。、、権力ポストには職務と責任が付随する。これを職責という。、、、利口と聡明とは違う。利口とは読んで字のごとく口先がうまいということである」。「えらい人と、えらい地位とは、必ずしも合致するものではない。、、ほんとうにえらい人は、自らえらいと思わない人である」。佐藤を利口、あるいは利口ぶった人だと言ったのである。

佐橋は現役時代は「ミスター通産省」と呼ばれた傑物であり、次官時代も歯に衣着せぬ言動で三木武夫通産省時代には「佐橋大臣、三木次官」とマスコミが揶揄していたことも記憶にある。「実務家の発想は、今の時点で何をすべきか。将来に備えていま、何を準備し、何に着手しておいたらいいのか、からし出発しなければならない」と考えていたから、その発言と政策は説得力があったのだろう。

現役の時、酔えば必ず歌った「通産佐橋節」がある。「男なら」という歌に節を改作したものだ。「未練残すな 浮世のことは 花は散り際 男は度胸 どうせ 一度は散るものを」から始まる。国士官僚の心意気がうかがえる。

「公務員のモラルは一国の道徳水準のバロメーターといわれる」「由来、大蔵省は、決して自らまちがっていたということをいわない役所である」「権威は、謙虚さと、英知と勇気があって初めて、権威にふさわしい正しさを持つものである」「愚民の上に苛き政府有り」と語る佐橋滋は、隠蔽・改ざん・嘘、にまみれた感のある後輩たちをみたらどう思うだろうか。

佐橋は読書家で『毛沢東語録』の大事な教えとして「愚公山を移す」を挙げ、それを生活態度にまで高めようと言う。90歳で家の前の山を他へ移そうと思い、箕で土を運んだ寓話である。知巧を用いず、勉めてやまぬときは、ついに大事業をなしとげるというたとえだが、この本を熟読していることに精神の柔軟性をみる想いがする。人間を知恵がある賢い人という意味でホモ・サピエンスという。それは「考える人」という意味であり、考えるとは疑うことでもある。人間は、現場を持ちながら読書で昔の偉い人の教えを受けていなければ動物に成り下がってしまう。佐橋滋は現場と読書を往復しながら疑う精神を持ち続けた人だった。

 

憂情無限 (1971年)