横山紘一『阿頼耶識の発見』

横山紘一『阿頼耶識の発見』(幻冬舎新書)を読了。

・心を変えるには、脳科学ではなく、心科学が必要。それが唯識思想。

唯識思想は、科学(分析)と哲学(空・真如を悟る)と宗教(解脱)を兼ねている。

・八識:表層心の六識「眼識(げんしき)・耳識(にしき)・鼻識(びしき)・舌識(ぜつしき)・身識(しんしき)。「意識(思考)」。七識「末那識(自我執着心」。八識「阿頼耶識(根本心)」。

・阿頼識は、記憶の貯蔵蔵。悪い業は汚れを、善い業は清らかな結果を貯蔵。深層心と身体は安危同一。美しい言葉を深層心に植えつけると自分が変わる。心身あげての強烈な体験は深層心を変える。

・「いのち」は総合的なもの。

釈尊「自灯明、法灯明」。自灯明の自とは、自分を勘定に入れずに他人のために東西南北に奔走する人。

・菩薩は他が先で、自は後の精神に生きる人。 

阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

 

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九識論との違いは何か。

・六識は意識、思考となっているが、そうか?

・九識「阿摩羅識」とは何か?

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「名言との対話」7月15日。佐藤道夫「自分の起こした不始末はまず自分で始末するというのが、子どもの躾の第一歩である。責任をとるとは、そういうことをいう」

佐藤 道夫(さとう みちお、1932年10月24日 - 2009年7月15日)は、日本 検察官 政治家弁護士

札幌地方検察庁検事東京地方検察庁特別捜査部検事・同庁刑事部長・最高検察庁検事などを歴任した検事である。

 東京地検特捜部では、1971年沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった、いわゆる西山事件の捜査を担当し起訴状を書いた。起訴状では、西山記者は外務省女性事務官と「ひそかに情を通じて」、これを利用して秘密文書を持ち出させたとした。この言葉で国家の密約問題から、スキャンダル事件へと本質がすり替えられたという批判がある。後に「言論の弾圧といっている世の中のインテリ、知識層、あるいはマスコミ関係者なんかにもね、ちょっと痛い目にあわせてやれという思い」から起訴状の文言を考えたと述懐している。是非はともかく佐藤の意図どおりに進展したわけだ。

東京佐川急便事件においては、自民党金丸信元副総裁が政治資金規正法違反に問われたが略式起訴となり、それを批判する文を朝日新聞読書欄に「特別な人を特別に扱うのは司法の世界では絶対にあってはならない」と現役の札幌高検検事長として投稿し、国民の支持を集めた。

 1995年、佐藤の正義感や人柄に目をつけた青島幸男氏が「私の議席を引き継いでほしい」とアプローチし、佐藤氏は二院クラブから参院選に出馬して初当選し、二院ク代表を務める。議員としてもオレンジ共済組合事件友部達夫参院議員に対する議員辞職勧告決議案に一人反対する、根拠薄弱で始めたイラク戦争で、アメリカがフセインを逮捕したとき、何の罪なのかを明らかにせよと小泉総理に迫るなど、活躍した。

著書『検事調書の余白』(朝日文庫)は、「週刊朝日」連載の「法談余談」をもとに、38年の長い検事生活で出あった事件を題材に、「法律」と「人間」の狭間で繰り広げられる本物の人生ドラマを鮮やかに描き出した。これは後にNHKで本当のドラマになった。

夕刊フジでは、「佐藤道夫の政界よろず調書」も連載している。記者には「僕の仕事は、政界や社会に対して『大切なことを忘れていませんか?』と問いかけること」と語っていた」という。

さて、「責任をとる」とはどういうことか。高い地位の職務には相応の責任が伴うのは当然だ。期待された結果を出せないとき、不祥事が起こったとき、高い地位の人は責任をとる必要がでてくる。昨今の偉い人たちの出処進退の悪さは目にあまるが、自分の起こした不始末は自分で始末せよ、という佐藤の言はさわやかに響く。ここでいう自分とは自分そのものだけではない。自分とは自分が統べる組織や集団の総体を指すのだ。