新著『100年人生の生き方死に方--百寿者(センテナリアン)からの伝言』(さくら舎)の見本が届く

 8月4日発刊の新著の見本が10冊届いた。215ページ。1400円。

f:id:k-hisatune:20180729072146j:image

 まえがき

 人生100年時代が到来しつつある。日本では「百寿者」というが、欧米では一世紀を生き抜いたという意味で「センテナリアン」と呼んでいる。この時代をリスクととらえる風潮が多いが、私は千載一遇のチャンスとみるべきだと思っている。

人生80年時代といわれた頃から「志学・而立・不惑知命耳順従心」という孔子の人生訓から脱却し、超高齢時代にふさわしい人生の考え方を私は提唱してきた。人生50年時代を1.6倍すると、志学は24歳、而立は48歳、不惑は64歳、知命は80歳、耳順は96歳、従心は112歳となる。24歳から48歳が青年期、48歳から64歳が壮年期、64歳から80歳が実年期、80歳から96歳が熟年期、96歳から112歳が大人期、それ以降125歳まではは仙人期と考えたらいい。人生100時代と言われるようになってようやくこの考え方を納得してもらえるようになったのではないか。20代半ばから80歳まで、青年期と壮年期と実年期とあわせて3つのキャリアを持てる時代になったし、その後も3期あるのだ。

さて、2018年6月7日に私が毎日書き続けているブログ「今日も生涯の一日なり」が5000日を迎えた。このブログでその日が命日と誕生日の偉人を対象に、心に響いた言葉と人生の軌跡と私の感慨を記すという修行を2016年、2017年に行った。その中から90歳以上の地平に立った人々を抜き出したのが本書である。

また、2005年から始めた「人物記念館の旅」は、すでに800館を超えてライフワークとなってきたが、「偉い人」の条件が自分なりにわかってきた。それは影響力ということである。深く、広く、そして長く影響を与える人が偉い人だ。彼らの共通項は7つある。「仰ぎ見る師匠の存在」「敵との切磋、友との琢磨」「持続する志」「修養・鍛錬・研鑽」「飛翔する構想力」「日本への回帰」である。その分類ごとに高齢順に並べている。107歳と最高齢の平櫛田中を含め、訪問した記念館やそこで入手した資料や書籍から拾った言葉を使っているから、知られていない名言も多いはずだ。

百寿者は2050年には53万人になるとの予測はあるが、現在ではまだ7万人であり数は多くないので、この本では90歳以上の人を取り上げることにした。「平成」の次の時代が見えている今、超高齢化時代を生きる読者に耳を傾けていただければ幸いだ。

www.amazon.co.jp

--------------

「名言との対話」水島廣雄「小を大に、大をトップに育てることこそ人生の快事である」

 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、日本実業家民法学者。東洋大学名誉教授、法学博士

1936年に中央大学法学部を卒業し日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行した水島廣雄は、サラリーマン生活を送りながら「不動担保の研究」で法学博士号を取得。東洋大学法学部教授を兼務し、担保法の権威だった。

入社した当時のそごうは、大阪、神戸、東京の3店しかない中堅百貨店にすぎなかった。それが社長就任時、売上高数百億円の弱小デパートだった。から約30年後の1991年、老舗百貨店を抜いてグループ売上高を1兆2000億円まで伸ばして、「日本一の百貨店」の栄冠をつかんだ。デパート王。それを支えたのが、思い切った多店舗展開だった。都心ではなく都下や千葉市横浜市など東京周辺部駅前一等地に地域一番店を出店、一時は国内外合わせ40店舗を誇った。バブル崩壊後、過剰投資が裏目に出て、過去最大の1兆8700億円の負債を抱えて、民事再生法の適用を申請し、破綻に至った。

「負ければ賊軍。でもね、横浜などにそごうは残せたね」。 確かに、経営破綻はあっても、「法人は死せず」だ。

大都市から一定の距離を置いて虹のように取り囲んで出店するレインボー戦略を、国道16号線を対象に具体化する。高度成長で増加したサラリーマン層を吸収した公団、団地、マンション林立する地域である。横浜、多摩、柏と、16号線上にそごうがあった。川口、大宮、千葉、茂原のそごうもその戦略の一貫だったのだろう。多摩そごうも、鈴木俊一・元東京都知事が「人口30万人になります」と押したが、実際には15万人にとどまった。多摩地域では多摩センター・南大沢・橋本・八王子と、半径10km程度の範囲に4店舗を出店する計画があり、橋本を除き、実際に出店している。

「破綻の責任はある。しかし決して放漫経営ではなかった」。行政に頼まれ、銀行に後押しされて出店した店も多かった。

 水島廣雄は、小を大にし、その大をトップに育てた怪物である。「メーカーの時代は終わった」と言った中内功ダイエー、「安く仕入れたら安く売れ」と言った和田良平の八百半、「愚直さが相手の心を打つのです」と言った堤清二西友など、成功と失敗を経験した彼らも水島と同じく人生の快事を成し遂げた人たちである。水島廣雄は、さらに102歳での大往生という快事をも成し遂げている。「年配者は貴重な体験を明日に活かせ、若者は夢をもて」と励ました続けた人柄を慕う人も多く、100歳のお祝いの会には250人が出席している。水島は波瀾万丈のを生き切った百寿者(センテナラン)である。