箱根でインターゼミ合宿。

箱根湯本の水明荘でインターゼミ合宿。

13時から新人教員3人の自己紹介のミニ講演。5つの班の中間発表。終了は17時前。

18時15分から食事会。二次会。三次会と続く。

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10年目の今年は、人数は史上最高だった。内容も一番良かった。

初見先生「労働に喜びは存在するのか」。後藤先生「協力に基づく幸せな社会のあり方」。加藤先生「生活を豊かに」。

AI班「豊かな人生とは何か」。地域班「人生の満足度」。サービス班「高学歴高齢者の再武装が幸せに繋がる」。多摩学班「人生100年時代を幸せに過ごす社会システム」。アジア班「どういう体制が幸せをもたらすか」。

全体の底流を流れている研究テーマは、人生100年時代の「幸せと豊かさ」だ。寺島学長の8月10日発刊の「ジェロントロジー宣言」(NHKブックス)は、人生100年時代を睨んで社会システムをどう変えるかがテーマであり、私の8月4日発刊の「100年人生の生き方死に方」(さくら舎)は、人生100年時代の個人の生き方のモデルを提示したものだ。

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「名言との対話」8月2日。村上信夫「やはり平和が一番だ。うまい料理こそ平和の象徴。もう一度料理をつくろう」

村上 信夫(むらかみ のぶお、1921年5月27日 - 2005年8月2日)は、日本のフランス料理の料理人。

村上は帝国ホテル料理長という日本最高峰の地位を26年間という長期にわたり務めた名シェフだ。NHK「今日の料理」の名物講師としても活躍した。テレビでふっくらした体型とヒゲの風貌とやさしい語り口を覚えている人も多いだろう。

犬丸徹三・帝国ホテル支配人から北欧の食べ放題料理スタイルを研究するよう指示され、村上は「バイキング」方式を考案する。また1964年の東京オリンピックでは「女子選手村」の総料理長として300人以上のコックのリーダーをつとめた。 包丁類を買い集めているうちに手が出るようになった日本刀の蒐集が趣味。講道館柔道六段。 

  「料理にこれでいいということはない。いくつになっても研究を続ける」

 「私ども料理人は怒ったりしたあとに味付けをすると辛くなってしまう。ですから本当のプロの料理人は泣いたりわめいたりしなくなるものなんです」

短歌の土屋文明は敗戦時に「我にことばあり」と言って、短歌をを縦横に使える時代がきたと力強く宣言した。インパール作戦で生き残った塚本幸一は服飾の分野で新生日本の国造りに命を捧げ英霊を慰めようとした。同様に戦後、シベリアに抑留から日本に戻ってきた村上信夫は「うまい料理こそ平和の象徴」と考え、料理で自分が立ち、その料理で平和に貢献しようと決意したのだ。日本中の様々な分野でこのような決意をした人たちがいて、復興が成功したのであろう。