自分史まつり」で講演「遅咲きの先人に学ぶ人生100年時代の生き方」。読売新聞朝刊1面に新著『100年人生の生き方死に方--百寿者(センテナリアン)からの伝言』(さくら舎)の広告。

自分史活用推進協議会主催の「自分史まつり」がお茶の水の連合会館で開かれた。スペシャセミナーということで、冒頭の河野代表の後に、50分の講演。テーマは「遅咲きの先人に学ぶ人生百年時代の生き方」。

福島、岡山、名古屋、静岡、世田谷、練馬、愛知県あま市、川崎、など全国の支部からの参加者を中心に60名ほどが参集。終了後、ある新聞社から取材の申し出があるという展開があった。

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以下、アンケートの感想から。

孔子の人生訓改め、久恒先生の人生100年時代のライフデザイン。壮年期後記の私は実年期を新たに迎えられるという元気をもらいました。。人生の豊かさ(自由の拡大)への旅の図も大変納得をしまた。(多摩大大学院OB)

・「図解自分史」、大変興味深い。先生のホームページを拝見します。人生観、人生思想の重要性について大変勉強にまりました。

・久恒先生の「図解」受講し、活用しております。感謝。(岡山県倉敷)

・大変おもしろい内容でした。「精神的自由」を得るために、人生を考えていきます。

・今日は素晴らしい講座をありがとうございました。図解自分史、100年時代の自分史の価値、、、。たくさんのヒントをいただきました。(名古屋支部長)

・ 自分史の実践、大変参考になりました。自分史作成へのはずみがつきました。(知研。元リコー社員)

・これからの残りの人生、志を持って楽しく学ぶ、、良き不良の人生を送りたい。大変参考になりました。

・元気!勇気!プラス言葉をいただきました。言葉の力を感じました。(キャリア講師)

・終活セミナーを担当しています。マイナスの話が多いのですが、今日の話で元気になりました・(名古屋)

・お話、キーワードと自分のかかわり方がみえてきたような気がします。大変にユニークなセミナー、ありがとうございました。

・大変有益なご講演をありがとうございました。86歳です。自分史を書き続け、グループ作品集の発行を続けていきます。(練馬で自分史講座を開催)。

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 講演を聴きに来ていた中津高校の松田君と猪俣君と、知研の池淵さんと懇談。

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池淵さんへ「真・進・新」の考え方を提示。

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お茶の水のソラシティで力丸君と昼食を摂りながら、「図解」のプロジェクトの相談。

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本日の読売新聞の朝刊1面に『人生100年時代の生き方死に方---百寿者(センテナリアン)からの伝言』(さくら舎)の広告。

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「名言との対話(平成命日編)」8月7日。田川誠一若い人たちには『将来』があると、よく若手は言うが、私には『晩節を全うしたい』という思いがある」

田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。

田川誠一は、「政治倫理」と「政治の改革」がテーマの30余年の議員生活を送る。11期連続当選した。半分は与党自民党、半分を新自由クラブ、進歩党という野党として過ごした。1976年自民党を脱党し、河野洋平新自由クラブ結成に参画。幹事長、代表。1983年自民党との連立内閣で自治大臣国家公安委員長。1986年新自由クラブ解党後に進歩党結成(代表)。

立派な制度も意識の変革がなければ、政治腐敗はなくならないとする田川は「政治倫理」には「コーヒー・一杯運動」で少額資金集めで政治活動を行った。

政治家に対してロッキード事件の際には次のような感慨を述べている。「時が経てばすべて忘れ去られる」という考え方がまかり通るようになってきた。国会の権威は地に堕ち、責任感や自浄能力は失われる。「上正しからざれば下必ず乱れる」と語っている。またリクルート事件の頃には、ある評論家の永田町三原則をあげて政治家として恥ずかしいとしている。「バレなければなにを言ってもかまわない。いったんバレたら全部、秘書のせいにして逃げる。それでもダメなら開き直ってみんなで渉ればこわくない」。

マスコミに対しても批判的だ。解決するまでやるという執念が日本人には欠けている、これの一番悪いのがマスコミだ。解決していない問題はとことんまでやることが必要だ。政治腐敗が続くのはマスコミの健忘症にも責任あり。人のウワサも七十五日と言いますが、三カ月四カ月たつと、ニュースが古いといって書かなくなり、国民は忘れてしまう。

平成末期の現在に至っても、このあたりは、まったく変わっていないと苦笑せざるをえない。

田川誠一は、信念の政治家であり、激動の情勢変化の中、「政治化には妥協を許されることとと、譲ることのできない一線がある」という名前の通りの誠実さと、「余力を残して退くことが、政治化として大事なことだと思う」という、きれいな出処進退が印象に残る希有な政治家だった。

田川誠一は、10年を経た新自由クラブ解党と自民党への復党に際して、若い人の将来をおもんばかって妥協は許される、と寛容な態度を示した。しかし、老人である自分は晩節を汚すことはできない、とやせ我慢の道を歩き、節を曲げずに政治家人生を全うしたのだ。人には寛容であるが、自分には厳しい。各界において、こういう指導者がいなくなった。これは日本の危機である。 

やればできる痩せ我慢の道

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