日経新聞朝刊(9日)1面下段に新著『100年人生の生き方死に方』(さくら舎)の広告。

7日の読売新聞に続き、日経新聞朝刊(9日)1面下段に、新著『100年人生の生き方死に方』(さくら舎)の広告が掲載された。

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研究室。

・春学期の成績確認。

・秘書の近藤さんと打ち合わせながら、お盆休み後の、様々な予定の準備を済ます。

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8日、沖縄の翁長雄志知事が膵臓癌のため逝去。壮絶な戦死である。

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「名言との対話」。8月8日。星野道夫「きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」

星野 道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 - 1996年8月8日)は、写真家探検家詩人

千葉県市川生まれ。慶應義塾大学経済学部へ進学する。大学時代は探検部で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。1978年、アラスカ大学野生動物管理学部に入学するも中退。1989年『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。1993年、花の世界に身を置いていた萩谷直子と結婚。1996年、ロシアカムチャツカ半島南部のクリル湖畔に設営したテントヒグマの襲撃に遭い、死去。43歳没。

星野道夫という名前は、2016年9月に訪問した中国・広州の広東財経大学で初めて知った。外国語学院の建物の廊下に、古今東西の偉人たちの写真と彼らの言葉が飾ってあった。マンデラ大統領、シェイクスピアアウンサンスーチー女史、モーツアルト、レオナルドダビンチ、ゴッホショーペンハウエルマルクスなど。日本人も飾ってあった。小野小町、鈴木晴信、柿本人麻呂鴨長明柳宗悦。存命の人では、宮崎駿大江健三郎の二人が掲げてあった。こういう人たちが中国においては日本人のイメージなのだろうか。宮崎駿は、「私には紙と鉛筆があればよい」。大江健三郎は、知る、分かる、悟るを分けて説明をしていた。

この人々の中に知らない名前があった。星野道夫という写真家であった。どういう人だろうか興味を持った。今回、星野の遺稿集『長い旅の途上』(文春文庫)を読んで、人となりと彼の志を知った。極北の自然とそこに生きる人間と動物、植物への愛情。そして大地に注がれる深いまなざし。人間とは何かを考える日々、、。みずみずしい感性で語りかけてくる星野の文章は心に響いてくる。

・誰かと出会い、その人間を好きになった時、風景は、はじめて広がりと深さをもってくる。

・川開き(ユーコン川)の瞬間、、、冬の間眠り続けていた河が、ボーンという音と共に無数の巨大な氷塊と化し、いっせいに動き出す。

・この土地の自然は、歳月の中で、いつしか人間を選んでゆく。

・アラスカの本当の大きさは、鳥の目になって、空から見ないとわからない。

星野は日本の子どもたちをアラスカ山脈のルース河氷河に連れてゆく旅を毎年続けている。岩と氷だけの無機質な世界で満天の星を見上げているだけで誰もが言葉を失う。そういう体験をさせる旅である。

アラスカとニューヨークは似ていると星野は言う。苛酷な自然と混沌とした人間社会。半端でない世界だ。どちらも緊張感を持って暮らさねばならない。10代の頃北海道にあこがれた星野道夫はアラスカの大自然の探検家になった。世代が近く、同じ探検部出身の私は、人間ジャングルの探検家になったともいえる。

2016年8月より、「没後20年 特別展 星野道夫の旅」と題した巡回写真展が開催されている。東京、大阪、京都、横浜、長崎、久留米、東大阪。静岡の伊豆では2018年9月末まで開催している。それを観たい。

日々の暮らしの中でかかわる身近な自然と、創造力と豊かさを与えてくれる遠い自然という二つの自然があり、慌ただしい日常の時間と漠とした生命の時間の二つの時間がある。そう語っていた星野。染織家の志村ふくみと作曲家の武満徹の言葉に静かに耳を傾ける星野。鳥の目になり、自然も人間の営みも同じに見えるようになっていた星野。43歳で逝った「光」を捜し求める星野道夫の旅は、長くはなかったが、充実した旅であったろう。

長い旅の途上 (文春文庫)

長い旅の途上 (文春文庫)