『102歳の平穏死--自宅で看取るということ』(井上喜美子)を読了。
『100年人生の生き方死に方』の感想がぼちぼち手に入ってるが、この本は素晴らしい感想とともに送られてきて、読みやすくその日のうちに一気に読み終わった。
102歳で理想の平穏死を遂げた義父の看取りを時間を追って具体的に描いた本だ。著者の誠実な人柄と、人間とその死に対する深い観察で、自身が少しづつ成長していく姿がよくわかる優れた体験記である。
「平穏死」という言葉は最近耳にするが、この本を読んで考え方がよくわかった。無用な苦しみからの解放という意味で、むしろ本当の意味の尊厳死ではないかと思った。
時折、この本であらわれる感想は体験者ならではの感慨がこもっている。「人は、やろうと思うこと、やるべきことがないと、老いていくものだ」。そして「家族のことに思いを馳せながら、苦しみもなく、天寿をまっとうできれば、非常に幸せな死に方ではないだろうか」。それをどう実現するかが、大きなテーマだ。
死の間際に「仲良し時間」があらわれる。「今まで、ありがとうございます。お世話になりました」と著者が言うと、予想もしない言葉が返ってきた。「こちらこそ、ありがとう。お世話になりました」。「あまり、いい嫁ではなかったのですが、、」「そんなことはありませんよ」、、、。そして二人はニコニコしてお互いを長い間、じっと見つめ合っていた。ここがこの本のクライマックスだ。
点滴を外し、延命処置をやめる平穏死には年齢が大きくかかわるようだ。71歳、80歳だったら、平穏死はなかなか選べないだろうと著者は思う。この義父の場合は100歳を超えているので、次第に平穏死へ向かうことができただろうが、なかなか年齢による線引きは難しい。
私の尊敬していた上司も、延命はせずに家族全員が賛美歌を歌う中で、皆と手を取り合って70歳の若さで死に赴いたと聞いている。この例も平穏死を自ら選び取ったということなのかも知れない。
十分に生きて、最後は苦しまず、安らかに、穏やかに家族にかこまれて逝くことができることは大きな価値のあることである。平穏死は、まさに大往生の思想なのではないか。90代に入った母のことを考えるにも大いに参考になったし、自分の死生観にも影響があった。この本の中で触れられている「平穏死」の本も読むことにしたい。
大学にて。
・松本先生(地域活性化センター長):人事。
・高野課長(学長室):人事。
・渡辺さん(学長室):戦略会議「学生」の方針。
・バートル先生(国際交流センター長)
・森島課長(入試課):スケジュール
・山本さん(学長室):T-Studioの34階の名言との対話。
・樋口先生と電話:さくら舎
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聖蹟桜ヶ丘の赤坂飯店で知研の八木会長と食事。
・シン(真・進・新)知的生産の技術
・『100年人生の生き方死に方』を贈呈
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「名言との対話(平成命日編)」8月17日。柳原良平「つかめる夢はつかんだ。さらに夢をつくろう」
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。
1950年代初頭にトリスウイスキーの広告に登場した切り絵の3等身の「アンクルトリス」は人気があり、高度成長時代にふさわしい国民的キャラクターになった。この作者が柳原良平だ。「サントリー天国」「サントリークオータリー」や、新聞に連載された「新入社員諸君。一歩踏み込め!」「沈着・冷静・果断」「一日一日を大事に使えば、必ず立派な人間になれる」など山口瞳のビジネスマンを励ます文章とマッチした絵は人気があった。私もモーレツビジネスマン時代には、こういった絵や言葉に親しんでいた。
柳原はイラストレーター、デザイナー、漫画家、アニメーション作家、エッセイストなどの仕事を存分に楽しんでいる。生涯で装丁を手がけた書籍は300冊以上。大胆なデフォルメの切り絵と必要最小限の線、そして白目の中の黒目で顔の表情の変化を的確に表現する手法だった。
この人はこども頃からの「船キチ」でもあり横浜・山手の自宅兼アトリエは海の見えるモダン建築だった。「船の画家」と呼ばれ、船会社や船の名誉船長、海のパビリオンの名誉館長、海洋関係の財団の理事など、多彩な肩書きを持っていた。東京に出るときは、夕暮れの銀座を画廊をのぞいてから食事をしながら飲み、そしてなじみの店を一巡している。
関係者の証言を眺めると、「鋭い観察眼。旺盛な仕事量。締め切り厳守。期待以上の作品」と仕事への評価は高い。船長姿でウイスキーをぐいぐいあおってバタンと倒れる姿が目撃されるなど、愉快でおおらかな人柄で慕われていた。
広島県尾道市に「「アンクル船長の館」(2009年閉館)があった。また横浜みなとみらい21地区にある横浜みなと博物館内に常設展示室「柳原良平アートミュージアム」が018年に開設されている。
冒頭の言葉は『柳原良平の仕事』の中で2001年のインタビューのタイトルである。この最後に「あと30年はがんばらなくては」と語っている。この時柳原は70歳だから、100年人生を見すえていたことになる。実際には84歳で没するが、その心意気や、よし!
- 作者: 柳原良平
- 出版社/メーカー: 玄光社
- 発売日: 2015/12/12
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