修士論文基礎講座で「図解・修士論文の書き方」を講義。受講者の感想は?

 12時45分から14時半まで、夏期の研究発表会を開催。

17年度共同研究成果発表。18年度共同研究プロジェクト発表。面白い研究が多く、成果に期待がある。

AL。グローカルビジネス。シラバスビッグデータ。北京の中かん村。中国の出版活動。健康学習。イベント満足度評価。健康まちづくり産業。イーラーニング。分析ストーリー。都市農業。脳波。アクティブシニア。シニア見守り。オンライン行動分析。中国の企業ガバナンス。

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14時40分:理事長報告:学部長と。先だって囲碁について出原先生。

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 18時:品川の大学院

・瀧川課長。福井さん

・論文基礎講座シリーズで、講義。タイトルは「図解・修士論文の書き方」。ほとんどが2018年春入学生。人数も多い。

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 以下、授業終了後のアンケートから

・自分が長い間、間違った方法で文章を書いていたと反省することになりました。文章の設計を書く重要性。はやく実践したい。

・論文を書くにあたって悩んでいたが、道が開けたと思います。この大学院で学んだことを形にするためには、設計図が必須だと思いました。覚えるのではなく、身につけることができたと胸をはって言えるように、これからの生き方も図で表現できるよう、修行していきたい。

・先生のお話と資料を拝見し、改めて感心しました。

・まず設計図を描き、自分が言いたいことの構造と関係を整理してから論文を書き始めることの重要性を感じました。

・全体を見て、個別の事象を関係性でつなぐ。偉人伝の授業を受けたい。

・自分の周りの物事の構造と関係を意識して、図解する能力を磨いていきたい。

・大変満足。設計図をつくってから文章を書く。接続詞をうまく使う。関係性を考えてつなぐ。この3つをポイントに修士論文に挑戦したい。図解で勝負できる人になりたい。

・アタマの革命としての図解力を磨きたいので春の授業を受けます。ココロの革命として、日本の過去の偉人の足跡を追う活動に興味をひかれました。

・気持ちが軽くなった。設計図を自己発見の旅として楽しもう。

・ここ数ヶ月悩んでいましたが、先生に教えていただいた図解コミュニケーションという考え方で、少し道筋が見えてきたように思います。入学式のときに知っておきたかった。

・文章は、内容と表現でできている。そして構造と関係を図解することで設計図となり、内容が固まる。論理的で素直に腑に落ちました。

・春学期に受講しなかったことを少し後悔しました。図解の重要性を説きながらも、アンケート、授業内で文章を書く作業を行うことは、これらは両輪の関係になっていると思えました。

・論文のテーマ決めから構成まで図解を活用していこう。教授との面談でも図解を利用すれば認識のズレがないだろう。つながり、相手の受け取り方を意識することが重要だとわかった。

・図解を使うと、最短で伝えられると感じました。最適。先生の本を読んで図解の面白さを体験したいと思います。

・非常に納得できました。本日の90分で私は新しいツールを得ました。明日から仕事に使っていきたい。楽しみです。

以下、留学生。

・論文を書くのに役立つ。

・図で考えれば文章がうまくなると思う。

・やってみようとい気持ちがわいた。

・文章を膨らませる方法もわかりました。

・キーワード、マル、矢印。

・図を使うと自分の視野がどんどん広くなていく。その図をみながら文章を書くことができる。

・図で考えるのは、初めて聞いた学問です。

・図解はものすごく効率が高い。手順や流れを意識して書ける。論文だけでなく、考え方が一変しそうだ。

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「名言との対話」9月12日。塩屋賢一「犬を道楽のために訓練するのではなく、人の役に立てるために訓練したい」

 塩屋 賢一(しおや けんいち、1921年12月1日 - 2010年9月12日[1])は、日本の実業家。犬の訓練師。財団法人アイメイト協会創設者、理事長を務める。

 塩谷賢一は「盲導犬の父」と呼ばれる。目の不自由な人に役立つ犬をつくり出す仕事が盲人誘導犬、つまり盲導犬をつくる仕事である。

塩屋が出場していた警察犬訓練試験競技会の審査委員長は相馬安雄。芸術家、文化人が集まるサロンを開いていた東京・新宿にあるレストラン『中村屋』の二代目社長だ。相馬安雄の勧めで、塩屋は犬の訓練士となるが、盲導犬を作出して社会に貢献したいと考えるようにな、青年・塩屋は愛犬学校を設立し1948年より盲導犬の研究を始めた。

1956年、18歳で突然失明した河相洌外交官・河相達夫の子)から盲導犬をつくる依頼を受けた塩屋賢一は1957年夏、国産第1号の盲導犬チャンピイ』を完成させた。これが日本における、実質的な盲導犬の歴史の始まりとなった。塩屋は起居を共にし、スキンシップをとり、人の往来などに慣れさせるため、毎日一緒に街を歩く。訓練を始めてから1年3ヶ月でチャンピイを河相烈に渡す。塩屋の河相への歩行指導も3週間近くにわたって毎日行なわれた。1957年8月に、河相は一人で難路をチャンピイと一緒に歩くことができた。日本で初めての盲導犬の誕生である。当時大学生だった河相烈は盲学校の盲学校の教師となる。学校でもチャンピイと一緒だった。

1967年『日本盲導犬協会』を設立。1969年には東京都が盲導犬育成事業を開始。1971年に新たに「(財)東京盲導犬協会」を設立。その後、東京都に続いて多くの自治体が盲導犬育成事業に乗り出し、その大半を東京盲導犬協会が受託。1972年には『全国盲導犬協会連合会』が発足した。

1977年、国鉄への自由乗車、1978年、バスの自由乗車が実現。1980年には、航空会社や私鉄もこれに続く。後には、それまで飛行機やバスなどで義務化されていた盲導犬の口輪装着義務も撤廃。1981年にはレストランや喫茶店、旅館に対しても入店拒否などをしないよう、対応協力の指導が国からなされた。1989年には『アイメイト協会』へと名称を変更した。

盲導犬は、今では光を失った人の目として欠かせない存在となっている。レストランでは、好物の肉を前にしても決して動かないし、コンサートホールでは、2時間以上の演奏中、静かに伏せて待ち続けることができる。

1982年、日本の文化活動に著しく貢献した人物・並びにグループに対して贈呈される 吉川英治文化賞受賞を受賞する。『障害者と一体でやろう。盲人の自立をお手伝いするだけだ』という理念を掲げた塩屋賢一は「盲導犬の父」と呼ばれるようになった。

この人の、犬を「人の役に立てるために訓練したい」という高い志と、苦難の多い道のりを切り拓き続けた実行力と、それによって世の中が変わった現実、そして2017年現在で、盲導犬950頭が存在し、盲導犬使用者が971人がその便益を受けている姿を眺めると、一人の人間の力というものの偉大さを思わずにはいられない。