黒澤明『生きる』

黒澤明「生きる」をみる。

主演は、黒澤が三船敏郎とともに演技力を買っていた志村喬

30年近く無欠勤の無気力な市民課長が、胃がんであると悟り、遊ぶが救われない。元部下だった奔放な若い女性の生命力に惹かれ、彼女から「何か作ってみたら」と言われ、心が動く。翌日から住民の要望の強い公園をつくることに邁進し何とか完成する。5ヶ月後に主人公は死ぬ。通夜の席での参会者の様子が人間社会の欺瞞と、そしてそれと最後に闘った主人公の生きた様をよく現している。志村喬の目の表情がいい。ヒューマニティあふれる名作だ。

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・ 秋学期の学部と大学院の授業準備。

・「紀要」の原稿書き。

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 昼食は「古潭」。

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「名言との対話」9月16日。牛島憲之「絵の具とカンバスと、雨風しのげて目と手があれば、絵は描けるんだよ」

 牛島 憲之(うしじま のりゆき、1900年8月29日 - 1997年9月16日)は、洋画家

熊本の地主の息子。19歳で上京、東京美術学校を卒業した年の帝展に初入選、戦後の第2回日展で《炎昼》により特選を受賞。1954年、東京藝術大学の講師、1965年から教授となった。1981年に日本芸術院会員、1982年は文化功労者となり、1983年には文化勲章を受章している。

牛島の作品は、鮮やかな色面による画面構成から、幾何学的形態を淡い色調で描く具象絵画へと移行し、晩年には写生にもとづきながら構図・色彩などに画家の造形的意図が明快に表出される画面に至った。

多摩川近郊、特に府中によくスケッチに出かけた。その縁で、府中市美術館内に、牛島憲之記念館がある。優れた企画展を行う府中市美術館に訪れるたびに、私も牛島の作品をのぞくことが多い。遺族から約100点の寄贈を受けており、年3回テーマをかえて展示している。2018年度は、「牛島憲之と昭和」、「漁港」「水門」など「人工物のある風景」、「やわらかな牛島憲之の世界」である。

 柔らかな線と穏やかな色彩を特徴とし、そこに描きだされた世界は非日常的でありながら、リアルな存在感をもち、詩情にあふれている。気品ある、至高ともいえる静謐感に包まれた世界を描いた洋画家である。

「絵かきは孤独でなければならない」の信念があり、画壇とのつき合いはなく、絵を書き続けた。対象を見つめる目、それを表現する技と道具があれば絵は描ける。画家に交流や名誉は必要ない。ただひたすら絵を描き続けた97年の生涯だ。牛島憲之の「生きる」ことは、「絵を描く」ことだった。