インターゼミ(社会工学研究会)、始まる。

インターゼミの秋学期始まる。

始まる前に文庫カフェで、学長、先生方と懇談。

 

今後のスケジュール確認。新規参加者紹介。

2018年夏の動き:蓮見先生(北海道停電)。バートル先生(モンゴル研修)。森川君、佐保君。、、、。

学長講話

・体験・体系化・解答。練る、凝縮する。

リニア新幹線:橋本。品川、甲府、10分。

・北海道:全道で400-500万KW.苫東の火力、160万KWがブラックアウト。本州の東北電力から60万KWを送る手はずがダメだった。直流、交流の切り替えの電源がブラックアウト。再生エネの太陽光、苫東にメガソーラあり、北電が系統システムに組み込んでいた、これがブラックアウト。固定価格買取制度は2倍が4分の1に下落、押しつけられた北電。コンビニの健闘:1100店舗あるセイコーマートプラグインハイブリッドで活躍(プリウスは走る発電機)でレジが動いた。セブン、イオンはレジが動かなかった。泊原発の210万KWがスタンバイしていたが再稼働に高いハードルあり。真剣に考えるべき。原子力の基盤技術の維持が重要。廃炉にも技術。原子力人材の若手がいなくなった。ロシアは原子力に舵。中国は80基8000万kW。湯川秀樹「太陽光エネルギーは核融合」。日本の原発売り込みは卑怯な印象。

・モンゴル:東方フォーラムのロシアの軍事演習30万。モンゴルが参加、ロシア・中国に引き込まれつつある。日本への期待は失望に。

・情報は受け手の能力しだいで伝わる。

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終了後、アジア班と、蕎麦屋で社会人大学院生を中心に歓談。水盛先生からから『悪の歴史 東アジア編下・南・東南アジア編』をいただく。帰りの電車で「林則徐」を読了。「袁世凱」を今から。

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水天宮で、長女の長男のお宮参り。

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「名言との対話」9月22日。前川春雄「奴雁の哲学」

前川 春雄(まえかわ はるお、1911年2月6日 - 1989年9月22日)は東京都出身の第24代日本銀行総裁。6つ上の兄は有名な建築家前川國男

1979年森永貞一郎の後を受け、第24代日本銀行総裁に就任。イラン革命の影響による第二次石油ショックの狂乱物価のインフレを、就任2ヶ月後の予算審議中の公定歩合引き上げを断行し、その後も数回にわたり引き上げ金融引き締めで乗り越えた。その後、日本経済はインフレなき成長路線を歩むことになり、内外の高い評価によって名総裁と呼ばれた。

日銀退任後の1985年には、日米貿易摩擦をめぐり、経済構造調整研究会の座長として「内需拡大市場開放」を主眼とする報告書(前川リポート)を取りまとめた。日本はその後、前川のレポートに沿って、規制緩和・対外開放を推進することになる。

前川春雄は日銀は「奴雁」(どがん)であるべきと考えていた。奴雁とは、季節の陰陽の変化にともなって往来する渡り鳥である雁の中に、夜、砂州で休んで雁仲間たちが餌を啄んでいるときに群れの周囲で人や獣の接近を見張っている役目の雁がいて、不意の難に備えて周囲に注意を払っていることに因んだ言葉だ。

「学者は国の奴雁なり」としたといわれる福沢諭吉の言を前川は参考にしていた。リスクに絶えず注意を怠らない心配性であるべき組織が日銀のあり方なのだと、日銀の内部に向かって常に語っていたのである。前川春雄の伝記に『『前川春雄「奴雁」の哲学』』(浪川攻)がある。

全員が一つの方向を向いているとき、集団に危機が襲う。まったく違う方向に目を向けている人がいる集団は、全方位を睨んでいるから、しぶとく生き残る可能性が多くなる。その奴雁の人は、風向きが変わると、リーダーになる場合もでてくる。「奴雁」になろうとする精神を忘れてはならない。