奈良県自治研修所

奈良県自治研修所で、丸一日の研修講師。30人弱の受講生。

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以下、受講者の業務。

統計。防災。まちづくり。文書。税務。観光。地域生活。保健。介護保険。地域医療。医療管理。薬務。女性活躍。自然環境。企業立地。農業水産業振興。森林技術。森林管理。土木。下水道。幹線道路。公園。建築。県立大学。広域医療。教育委員会。教育研究。

私の著書を読んでいる人が2人いて挨拶を受けた。受講生の中では歳が上の課長補佐と係長。「ドラッカー」と「文章論」の本。

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 夜は、京都駅の「接方来」で、九大探検部時代の先輩の藤原先生と食事。京都大学教授、放送大学の京都の責任者を経て、現在は臨床心理士の財団のトップ。ノーベル賞の本庶佑先生の話も。「生身」。「イメージデザイン」。

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「名言との対話」10月1日。 米澤嘉博「森ではなく木を見なければなりません。そして、木が枯れれば、森は衰えてゆくのです」

 米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本漫画評論家、大衆文化評論家、編集者コミックマーケット準備会の第2代代表である。

明治大学には、まんがとサブカルチャー米沢嘉博記念図書館がある。このまんが図書館は、総所蔵数は14万冊。現在は半分の7万冊が閲覧できりる。開架は6000冊。閉架64000冊。数年後には明治大学国際マンガ図書館に発展していくという。米沢嘉博という名前は知らなかったが、まんが業界では有名人だ。ヨネヤンと愛称で呼ばれていた。有限会社コミケット社長。

2、3歳頃から漫画を読み始め、小学生になる前から近所の貸本屋に通い詰める。中学時代から同人活動。自分でも漫画を多数発表している。明治大学工学部時代からマンガ誌の編集やライターをする傍ら、まんが評論活動を行い、そのままこの業界で過ごし、日本初のまんが同人誌即売会を立ち上げ、コミックマーケットコミケ)を開催する。米沢は数十万人が訪れる巨大イベントに育て上げた。1979年に準備会を立ち上げ、肺がんで亡くなる直前の2006年9月まで代表をつとめている。1980年から「戦後マンガ史三部作」を刊行。1999年「別冊太陽・発禁本」で日本出版学会賞、「藤子不二雄論 FとAの方程式」で日本児童文学学会賞を受賞。2001年からは立ち上げた日本マンガ学会理事。1997年から2002年まで、朝日新聞主催「手塚治虫文化賞」の選考委員をつとめた。
没後、2007年には星雲賞特別賞、2010年には「マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して」という理由でこの賞の特別賞を受賞している。まんが分野に大きな貢献をした人物だ。その米沢は以下の言葉を残しており、それがこの図書館の目的と叢書の特質になっている。

以下、友人の人物評。「一つの時代一つのジャンルだけでなく漫画の全体を把握していた「百科事典みたいな人」であった」「米澤は漫画の百科事典だった。漫画のことでわからないことがあると、彼に聞けばすぐ答えが返ってきた」

この人は、幼年からの志をそのまま育てた人だ。53才と言う若さで亡くなり、その間大きなそして多くの仕事をしたが、もっと時間があったら物凄いことになったと思う。米沢の志がこの図書館として実り、さらに国際まんが図書館として発展していくのだろうが、どんな偏屈なマニアでも頼まれれば応じたという米沢の人柄が大いに関係しているのだろう。

 

 

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