『井伏鱒二 サヨナラダケガ人生』(川島勝)

井伏鱒二 サヨナラダケガ人生』(川島勝)を読了。

著者は44年の間、編集者として関わった人であるから、井伏鱒二という人物がよく見えている。エピソードも愉しい。

 ・良農は深く耕す(好きな言葉)

・「小説はウソも書くが、随筆はおおむね本当のことを書く」

甲州が第二の故郷。定宿は甲府の甲運亭。信州富士見町高森に山荘。

・定住と漂白の人。

・改行と接続詞の工夫

・自宅は荻窪清水町。8畳の応接間兼書斎。

・作品においても、交友においても、マンネリを自戒していた。親みて狎れず。

佐々木久子編集の「酒」の「文壇酒徒番付」では、西の正横綱を張っていた。心技体は、酒品、酒量、時間(持続力)。みち草、よしだ、秋田、樽平。新宿くろがね。荻窪の東信閣。はちまき岡田。辻留。宮うち。

「男性で最後まで現役作家でいられたのは井伏さんだけではなかろうか」。多くの作家が筆を断つ80代から、『荻窪風土記』など密度の濃い回想記を完成させている。95歳の天寿を全う。

 

井伏鱒二―サヨナラダケガ人生 (文春文庫)

井伏鱒二―サヨナラダケガ人生 (文春文庫)

 

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・志賀先生:書物。テーマ。

・椎木先生:キスカ島撤退作戦

・杉田学部長

・飯田先生

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「名言との対話」10月10日。中村元「老人が真っ先に立って、新しい学問を開拓する必要があると考える」

中村 元(なかむら はじめ、1912年大正元年)11月28日 - 1999年平成11年)10月10日)は、日本インド哲学者、仏教学者。勲一等瑞宝章文化勲章。

東大退官後に自身が「寺子屋」と称した東方学院を開設し、学院長に就任し没するまで続けた。国籍も学歴も年齢も問わず、真に学問を目指す人のための講義を行った。

今まで 中村元のメディアでの発言、いくつかの書籍を手にしたことがあり、本物の学者の言として心に留めたことが何度もある。今回、『中村元 学問の開拓』という学問人生論を読んで、改めてこの碩学の「志」を追う機会を持てた。

ライフワークは、「比較思想」という新分野の開拓だ。そして『世界思想史』7巻を書く。比較思想学会をつくり初代会長になる。「思想というものは、人間生活の場との連関において理解されなければならない」「世界平和の実現のための手がかりを供する」「「世界が一つになるには、理解と寛容が絶対必要である」。しかし、この本を上梓した74歳時点では「自分が研究してきたことを組織し体系化することも、まだ果たしていない」と語っている。

そして、今から取り組むべきテーマとして「新しい論理学」を提起している。西洋の論理学と仏教の論理学(因明)とを比較考察し、両者を総合して根底から考え直すという課題だ。それから10数年、「比較思想」と「新論理学」は体系化されたのだろうか。

 仏教は「順縁」と「逆縁」はたえず転変すると説く。神聖な壇に仏・菩薩を配置し、真理を表した図絵。災難や災害、挫折や失敗などを象徴する悪魔も存在する。逆縁は順縁として生かす。それを中村は「マンダラ(曼荼羅)的思考」と呼んでいる。

やさしい言葉で語ろうとした中村は、「涅槃」を安らぎと訳している。心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろうとも注釈する。こういう姿勢が多くのファンを生んだのであろう。そして人文科学は、「自分自身がどのように生きたらよいのか」という問いに対して何らかの教示を与える使命を持っていると考えている。だから、社会、世界、地球を問題にしなければならないのだ。生きる指針を提示するのも学者の仕事なのだ。

エピソードを一つ。中村元が20年かけ執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった。中村は再び最初から書き直して8年かけて完結させ、全3巻で刊行。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され、没後全4巻が刊行がされた。この気力には頭を下げざるを得ない。

1999年7月、『中村元選集』全40巻が完結。10月死去。戒名は「自誓院向学創元居士」。生誕100年を記念して2012年、命日の10月10日に故郷の島根県松江市中村元記念館が開館する。論文・著作1500点が生涯の作品である。

ユーチューブで本人が語っている「ブッダの一生」を聞く。出家とは海外留学のようなもので、それは修行の生活をいう。、、、、。 

中村元という大学者の人生観、学問観を拾ってみる。

・わたくしの人生は、長いといえば長いし、また短いといえば、やはり短いといえるような気がする。・生涯を「短い」とも感じてしまうのは、時間があればやってみたいと思うことを山ほど抱えているからであろう。・「日暮れて道遠し」の感を深くしている。・わたくしは死の直前まで机に向かい、自分のほそぼそとした研究をまとめ続けたいと願っている。・わたくし自身の精神的探究は、本当の意味では、ようやく始まったといえるであろう。

中村元にとって86年の人生は短かった。取り組みたいテーマが次から次へと眼前に現れてくるからだ。翻訳で鸚鵡返しに書くというような日本の学者の精神的奴隷根性を唾棄し、コツコツと一歩づつ研究を積み重ねていく姿は神々しい。老人は後輩を育てるよりも、率先して新分野を切り拓けという強烈なメッセージを受け止めたい。 

 

 学問の開拓

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