ビッグデータ時代の教育のあり方。「横山崋山」展で850館。「不吉な予感と本当の処方箋」

午前中のFD 研修は、多摩大目黒高校の荒尾進路部長の講義。14人が受講。ビッグデータ時代の教育のあり方は大変参考になった。

・japan-ePortfolio。Classi。スタディアプリ。サービスサポート。生徒手帳。生徒カルテ。グループ機能。ウェブテスト。成績カルテ。学習記録。不安の解消。ノートとり不要。考える力。進路指導。基礎学力+応用力。プロセスが大事。電子調査書。図と絵も。日常生活が教材。夏休み。国語力。高大接続改革。

・父兄とのコミュニケーション。授業改善。データの蓄積。深く、きめ細かな指導。省力化。一貫。ビッグデータ時代の学校。教職員同士のコミュニケーション。自前はダメ。学生満足度調査。共有・主体性・蓄積。入試は通過点。生涯教育。

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 東京ステーションギャラリーで開催中の「横山崋山」展。今日の日経新聞に一面全部を使った特集があり、そのためか入場者が多かった。

 この名前は馴染みがないが、それは名作が外国に流れたためだ。江戸の当時は有名だったし、漱石の「坊ちゃん」にも名前が出て来る。「二人の崋山」といわれ、渡辺崋山と並んでいた。町人主体に躍動する京の町の姿を克明に記録し描いた横山崋山は「活写の名匠」だ。詳細は、別途記す。本日で、「人物記念館の旅」の累計は850館。

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九段サテライト

東洋学園大学の愛知太郎理事長が見学に見える。名刺交換。

・金先生、荻野先生、バートル先生と懇談

インターゼミ

・久保田先生「ルーマニアでの学会」。奥山先生(明治大)「OB会。研究のやり方」。木村先生「北朝鮮訪問から」。

・学長講話

・・サンデー毎日「100歳人生 本当の処方箋」

・・脳力のレッスン199特別篇「2018年秋の不吉な予感--臨界点迫るリスクと日本の劣化」

  

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  「名言との対話」10月13日。丸谷才一「よし、自分は上機嫌で書こう」

丸谷 才一(まるや さいいち、1925年大正14年)8月27日 - 2012年平成24年)10月13日)は、日本小説家文芸評論家翻訳家随筆家

 山形県鶴岡市出身。KAWADE夢ムック『追悼特集 丸谷才一』では、著書目録を次のように分類している。小説。評論。エッセイ。歌仙。ジェイムス・ジョイス関連。山崎正和との共著。大野晋との共著。対談集。ジャーナリズム批評。編集・監修。訳書。インタビュー。そして文明全体を扱うという態度で書評文化の構築にも動いた。

私は『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』のシリーズを読んだことがある。丸谷才一は挨拶を頼まれると、前もって必ず原稿を書く。当日はその原稿を読み上げる。だからすべての挨拶の中身が残っていて、数年おきに本になるとスタイルだ。このあたりは感心する。

KAWADE夢ムック『追悼特集 丸谷才一』「編集後記」の総括を見てみよう。--巨人。怪物。柄の大きさ、多面性、懐の深さ。成熟した市民社会にふさわしい小説。伝統の新しき継承。モダニズムの達成と彫刻。外国文学の吸収と自国の伝統の咀嚼。現代性に腐心した最後の文学者。

  芥川龍之介賞(1968年) 。『年の残り』。谷崎潤一郎賞(1972年) - 『たった一人の反乱』。読売文学賞(1974年・2010年) -『後鳥羽院』・『若い藝術家の肖像』新訳。野間文芸賞(1985年) -『忠臣蔵とは何か』。川端康成文学賞(1988年) 「樹影譚」。芸術選奨(1990年)  『光る源氏の物語』(大野晋との対談)。大佛次郎賞(1999年) 『新々百人一首』。菊池寛賞(2001年)。泉鏡花文学賞(2003年) -『輝く日の宮』。以上の業績からわかるように、文学界に果たした業績は比類がない。そして、- 多年の文学的業績により朝日賞(2004年) 。2006年、文化功労者。死の前年には文化勲章(2011年)を受賞。2012年、死去。享年87。「本は薬でもあるし、食べ物でもあるし、お酒でもある」というように本をよく読んだ人でもある。そして「自分のホームグラウンドをしっかりと持っている人が書いた本は面白い」とも語っている。

  私は小説ではなく、『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『挨拶は一仕事』などのエッセイが好きだ。丸谷は、挨拶にあたっては、すべて原稿を書いて、当日はそれを読み上げる。その原稿が残っているから、こういう本も書けるのだ。あらゆることに用意周到な人であったゆようだ。

丸谷才一の『文章読本』を読め。とくに、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章上達法である」とは井上ひさしの言だ。

  対談を100回以上行ったという好敵手・山﨑正和『不機嫌の時代』にみるように、日本文学は明治以降、気質的に不機嫌だった。それをひっくり返すことを自らのテーマとして、上機嫌でユーモアを大切にして戦った。「上機嫌」をテーマに言葉を探してみた。ワーグナー「仕事をするときは上機嫌でやれ、そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない」。ディケンズ「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほど、うつりやすいものもこの世にない。」。 サッカーレー「上機嫌は、人が着ることのできる最上の衣装である」。

よし、上機嫌で行こう!

 

 

丸谷才一 (文藝別冊)

丸谷才一 (文藝別冊)