社会人大学院生の論文のインタビューを受ける。人事委員会、学部運営委員会、教授会。

・9時20分:人事委員会:教員公募

・10時:学部運営委員会

・10時40分:教授会:再任1名。昇格3名。

・松本先生:多摩大総研の運営

・13時半:学長室の渡辺さん:戦略会議

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14時:岩下賢作さん来訪。

2003年に出した『図解で考える40歳からのライフデザイン』(講談社)で編集をしていただいた方。久しぶりに再会。岩下さんはJICAで仕事をしていたが、最近、東京経済大学の社会人大学院に入学し、「キャリア」をテーマに論文を書くということで、私を取材にみえた。

「志」「中年の危機」「100年時代」「豊かさ」「定年」「キャリアデザイン」「完全な自分」、、、など持論を語る。

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 岩下さんが編集した萩本欽一さんの本をいただいた。「ボクは73歳で大学生になった」。萩本さんは2015年から駒澤大学仏教学部に在学中。

人生はおもしろがった人の勝ち

人生はおもしろがった人の勝ち

 

 

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 「名言との対話」10月24日。岡本愛彦「私は貝になりたい

岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2004年10月24日)は、日本の映画監督テレビドラマ演出家ジャーナリスト

朝鮮黄海南道生まれ。NHKをへて、ラジオ東京(現東京放送,TBS)に入社。テレビドラマ「私は貝になりたい」「いろはにほへと」を演出し、芸術祭大賞を連続受賞。フリーとなり,「愛の化石」「ボク,走りたい」などの映画や社会派ドラマを制作。明星大教授、大阪経済法科大教授。著作に「テレビよ,驕(おご)るなかれ」など。女優森光子の才能を見いだし、1959年に結婚し、4年後に離婚している。

 『私は貝になりたい』は、元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」の遺言部分をもとに、橋本忍の脚本で制作された架空の物語で、テレビドラマおよび映画となった。日本のテレビ史に語り継がれている名作である。

第二次世界大戦中、清水豊松は、気の弱い平凡な理髪師。赤紙が届き内地のある部隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたアメリカB-29の搭乗員が裏山に降下。山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見。隊長から搭乗員を銃剣で刺殺するよう命じられたが、怪我をさせただけに終わる。終戦後、無事に帰郷。ある日、特殊警察がやってきて捕虜を殺害したBC級戦犯として彼を逮捕し、理不尽な裁判で死刑を宣告される。彼は処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。生まれ変わるなら、深い海の底の貝になりたい」と遺書を残す。

フランキー堺主演のこの不朽の名作を1958年に演出したのが岡本愛彦である。1994年版は所ジョージ、2008年版は中居正広が主演している。岡本愛彦は日本統治時代の朝鮮半島生まれであり、「朝鮮分断の最大の責任は日本帝国主義にあった。その歴史的責任を考えるなら、日本人と日本国は、南北の統一の為に率先して努力すべきだ」と考え、告発 在日韓国人政治犯レポート』、『ボク、走りたい!』、『世界人民に告ぐ!』などの、日本における在日朝鮮人をテーマにした映画の監督を担当した。

子どもの頃、この『私は貝になりたい』が話題になり、映画を見たような記憶がある。その時は、この作品の意味がわからなかった。今回調べてみて、主人公の「私は貝になりたい」の真意がよく理解できた。戦争に巻き込まれる庶民の運命の理不尽さへの怒りが、人間という愚かな存在はまっぴらだ、深い海の底で静かに暮らしたいという願いになったのだ。深い海の底とは、海面の激しい波に影響されない静かな場所だ。庶民の平和な日常の幸せの大切さを訴え、戦争を弾劾する物語とわかった。この作品を改めて鑑賞しよう。