立志人物伝6回目のアンケートから。「誰をロールモデルにしますか?」。
・志賀直哉に決めた。「網⾛まで」「或る朝」「菜の花と⼩娘」読んで、⽩樺派と呼ばれていた作⾵を感じつつレポートにつなげていきたい。
・新免武蔵守藤原⽞信について調べようと思った。
・ダ・ヴィンチにしようと思う。
・「⼈が真似できない芸を持つことが⼀流の条件である」この⾔葉が⾮常に気に⼊ったので、⼤⼭康晴について書こうと思う。
・夏⽬漱⽯について書くと決めた。
・尊敬している⼈は⽯塚運昇さん。世界的有名な作品ポケットモンスターのオーキド博⼠を始めとし⾊々なキャラクターの吹き替えを担当し、様々な役を演じていた。突然死去されてとてもショックを受けた。⽯塚さんを忘れません。
・⼀番尊敬しているのはナイチンゲール
・秋元康にする。
・フットサルブラジル代表の「ファルカン」にしようと思っている。
・レポートはナポレオンを書こうと思う。
・主に動画を⾒てメモを取った。野球選⼿についてレポートを書こうと思っている。
・⾃分の出⾝地などから有名⼈を探していきたい。
・⾦⽥⼀京助についてレポートを書く
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「名言との対話」11月1日。二上達也「ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」
二上 達也(ふたかみ たつや、1932年1月2日 - 2016年11月1日)は、将棋棋士。
二上は若いときには「函館の天才」と呼ばれた。また、その容姿から「北海の美剣士」とも呼ばれた。
大山康晴将棋記念館の入り口に、一代の覇者は先輩・同輩・後輩を負かすは、後に後輩に破れ、天命として位を禅譲するという考え方が記してある。1952年に47歳の木村義雄名人が29歳の挑戦者・大山康晴に敗れた時、「よき後継者を得た」と語り、多くの人に感銘を与えている。大山康治は、木村名人から禅譲を受けたのである。
その大山康晴十五世名人が、自分の地位を脅かす存在だと認めた棋士、それが二上達也と加藤一二三だ。二上は絶頂期の大山のタイトル独占を王将戦と棋聖戦で二度阻止しているのだが、タイトル戦では奪取2回、敗退18回と分が悪く、禅譲はされなかった。
一方、12年続いた大山康晴会長の後任として1989年に日本将棋連盟会長となり、2002年にかけて歴代最長の14年間、その役をつとめている。女流棋士戦の活性化と将棋の国際化に功績があった。棋士としては禅譲されなかったが、組織人としては禅譲があったといえるかも知れない。
将棋界では、
二上達也の弟子に羽生善治がいて、この天才と公式戦初対戦で完敗する。「ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」。二上は引退の決意は妻だけに告げて指し続け、年度が変わったときに引退届を提出している。育てた弟子に敗れて、自身の限界をみて、引退を決意する。この物語も美しい。