「持続する志」:牧野富太郎。大山康晴。原敬。池波正太郎。市川房枝。羽仁もと子。社会人大学院生と外国人留学生の感想は?

夜は品川の社会人大学院(多摩大大学院)で4回目の「立志人物論」の授業。15人が出席。18時半から21時40分まで。

テーマは「持続する志」。牧野富太郎大山康晴原敬池波正太郎市川房枝羽仁もと子。資料、口頭説明、ユーチューブ。

加えて、松尾孝(カルビー)、笹崎龍雄(サイボクハム)、白川静(東洋学者)、保直次(城山観光ホテル)、中村秀一郎(多摩大学長)、増田通二(パルコ)の人生と名言も紹介した。

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以下、授業の感想。日本人。

・本日の講義で紹介のあった人物達は一つの物事を突き詰める人種であり、故に各々が使命や役割を持っていると感じました。牧野富太郎は草木の精であると言うように植物を解明する事に時間を費やし、大山名人は勝利を重ねて、最後の役割は負けて時代を進める、その為の人柱となる事を役割としているようにも見えます。原敬にしても、功績は偉大なれど、死を持って歴史の中で役割を終える事は幕末や大戦時ではむしろ普通に起こっており、役割に徹したと言えるかも知れません。池波正太郎は現代と江戸時代を繋ぎ、市川房枝は女性の人権確立を進め、羽仁もと子は学校を作り人を排出したと伺いました。皆、使命を果たして歴史に残ったのだと考えました。個人的に興味深かったのは、棋士の名言は言葉を対にして使い、非常に論理だてた文章が多かったのに対して、池波正太郎は情緒的な文章で読者の想起意欲を感化させ、情景に訴える事を目的としていると感じました。又、市川房枝の論は政治腐敗と徴兵を同義として使っていて非常におかしい文章をエネルギーを持って正当化する辺り、政治家として優れていると思いました。現代の政治家の源流であると思いますが、現代のそれに対してまだ、ノスタルジックな雰囲気が残っているのは時代背景ではないかと思います。街頭演説の映像に映っている群衆は若く、市川房枝に聴き入っています。現代の街頭には若者よりも老人が多く、国の文化の推移とは存外この様な論調一つにも現れるのかも知れないと感じました。職業や役割によっても物の考え方が異なり、アウトプットとして文章に残る。立志人物論、面白いです。単なる知識の習得だけに留まらず、時代や文化背景にまで思いをはせる事ができます。加えて、留学生の方の物の見方が日本人と相違しているところも参考になります。本日もありがとうございました。

・持続する志というテーマの中で、登場した各偉人の方々に共通することは、ただひたすらに一つの物事に打ち込んだそのひたむきさにあると感じました。一方で、この志を持続させることに対して、やはりたった一人の力で成し遂げたというよりは、良き伴侶、理解者、協力者の力なくしては成し遂げられないだろうとも感じました。授業冒頭で議題となった「志」。何気なく「志」という言葉を使っていても、いざその意味を問われるとすぐに答えが出ない。とっさに、利他の心と口には出たが、その意味するところをしっかりと理解することはとても重要だと痛感しました。また、「現代の志塾」と称する多摩大学の掲げる「志」という意味についても、゛社会の不条理の解決のために自らの職業や仕事を通じて貢献をする゛という意味が込められており、このことを知ることは、改めて理解を深める良い機会となりました。講義で紹介のあった偉人のように、一つを極めるということは、生半可な覚悟では到底できず、自分自身にこの気概があるかと問われれば、正直不安でもあります。ただ、偉人の足跡は学ぶべきところが非常に多く、少しでも多くを学び、自分の糧になるよう努力を積み重ねていきたいと思いました。本日の講義ありがとうございました。

原敬「無私」。市川房枝「婦選は鍵なり」。「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」現代の志学という多摩大学のキャッチフレーズはグサリと私の心に刺さった。40歳を目前にして、これからの半生(人生100年時代とすると60年!)をどのように生きるか、現代の志学たる多摩大学という場に出会い様々な方々と語り合うことで自分の志を見つめている。今日の立志人物論でご紹介頂いた人物の中では、原敬市川房枝の志に強い感銘を受けた。原敬は平民出身者で始めて総理大臣まで上り詰め、日本の歴史に残る数々の仕事をした大人物だ。爵位の授与を固く拒み、無私の心で志を軸に生きた姿を短い講義の中でも強烈に感じることができた。市川房枝は演説の映像が印象的だった。運動は事務の堆積であるという言葉の通り、自ら行動し、有言実行、言行一致の潔い人物像が映像からも伝わってきた。私は部署がら女性社員と働くことが多く、女性の力を日々感じている。市川房枝が言うように、女性が活躍する社会、世界は人が大切にされ、戦争のない平和な世界であると思う。昨今の男女平等やダイバシティの活動にもつながる「平和への意志」を市川房枝の演説から受け取ったように感じた。私は人事/総務分野を専門として仕事をしてきた。人事の世界ではモチベーションなるワードがもてはやされて久しい。社員のモチベーションを高めるために、評価や報酬、社内環境など様々な面から工夫を凝らす。しかし、モチベーションにはフワフワした一過性の気分のような側面がある。ボーナスが増えるからもう少し頑張ろうとか、社内に気持ちのいいカフェがあるからやる気が出るとか、もちろんそういう面は人間誰しもある。しかし、それで今の社会課題や、企業の抱える課題が解決できるだろうか。壁にぶつかっても悲観せず、必ずやり遂げることができると楽観の意志を持ち行動し続ける人物を小手先のモチベーション論では決して育てることはできないだろう。「社員が(つまり自分自身が)いかに持続する志を持つようになるか」、という問いこそ、いま企業の人事/総務部門が持つべき問いなのではないか。いま日本は少子高齢化、人口オーナス、政府の過大な負債など多くの困難な課題に直面している。企業においては、今までの延長上にある単純な努力が報われる余地は少ない。目の前の人参を追いかけるようなモチベーション論ではなく、一人一人の生き方や信念に根ざした「持続する志」こそ、私たちの直面している今の現実を切り開く心のありようとして相応しい。学科長の徳岡先生の授業では、意志力というワードで表現されていて、今日の久恒先生の持続する志と共通するものだと理解が深まった。今日も、たくさんの学びをいただきました。先生やクラスの皆さんに感謝いたします。

・[志]のテーマに関して人物紹介、将棋で活躍する棋士の言葉の引用がありました。若い方や留学生の方々には馴染みがないかもしれませんが、私にとってはリアルに体験した人物ばかりです。池波正太郎は、その作品の多くを読み、かつ映画、テレビで見る事もあり、大変馴染みの深いと作家です。鬼平犯科帳はところどころに食べものの記載もあり、食通の池波ならではの作品です。時代小説で作品の多さでも人気のある作家です。中国からの留学生との会話の中で、中国にも[金庸]という中国国民が誰でも知っている有名作家がおり、広く読まれていることもを教えてもらいました。作品は侠客、外伝など池波作品に近いようですが、中国では格が上の作家と聞いています。日本語訳もあるようですので、今度機会があれば読んでみようと思っています。今回、特筆すべき人物としては、志し半ばで暗殺されてしまった宰相の原敬ではないでしょうか。東京駅で暗殺されたようですが、興味深いことで、そのことを調べている人もおり、暗殺された場所が残っています。今では、もう誰も気に留める人もなく、大勢の人がその場所を通り過ぎています。後に、もっとも優秀な宰相が誰かというアンケートで、第一位になっているくらい人気と実力があったと言われる人物です。暗殺されなければ、今日の日本も大きく変わっていたかもしれません。歴史は時として皮肉な運命を作り出すものです。もう一つのテーマでもあります女性として、その地位の向上に貢献した市川房枝がいます。幸いにして、私は市川房枝市民運動をしていた若い頃の姿を知っていますので、あの正義感と純粋な心に一種の憧れを持ちました。そしてもう一人、学生だった好青年の菅直人も同じ活動を支援していました。後に民主党の首相になるのですが、運悪く震災の影響で政治家としての活躍の場を失ってしまったようです。今回、将棋の大山康晴を取り上げて頂いたことに感謝しております。私自身でも、将棋を長く愛好しており、大山と枡田名人戦の勝負も記憶に留めており、学生の時に仲間と将棋を指したことが懐かしく思い出されます。今と異なり、スマホゲームなどがありませんから、囲碁、将棋、、麻雀のアナログゲームが活躍していた時代です。将棋は、上位者、有段者が絶対優位で序列がはっきりしていましたが、七冠をとった羽生善治に対抗する藤井聡太の出現で将棋の根底をひっくり返すような時代がやって来たのかも知れません。藤井聡太は、100年に一人の天才と言わざるを得ません。そして、大山康晴は、かつて長きにわたり、その頂点を極めた大天才です。惜しむらくは、同じ時代での将棋の対戦が見れないのが残念です。

・「持続する志」。牧野富太郎は植物の研究に80年以上の人生を捧げた。大山康晴将棋棋士として、「一時の栄光よりも、長く続けることが大事」と、1度は頂点を極め、50歳で無冠となりどん底を経験しながらも、将棋の世界において果敢に挑戦をしつづけた。原敬は平民から総理大臣にまで上り詰め、激務の中でも19歳から65歳まで日記を書き続けた。池波正太郎は小説家となってから、自分を段取ることにより膨大な作品を書き続けた。市川房枝は婦人運動家として、亡くなるまで日本における女性の社会的地位向上のための運動を続けた。羽仁もと子は日本女性初のジャーナリストとなり、自由学園も創設。出版と教育に人生を捧げた。今回学んだ人物に共通しているのは、まさしく持続する志である。途中で挫折しそうなことが何度もあったであろう。しかし、それを乗り越えて、名を馳せた方々である。強い思いを持ち続け、意思を貫徹してきた方々、頭がさがる思いです。ひるがえって自分はどうであろうか。転職回数でいえば立派なジョブホッパーであることは自覚しています。しかし、会社・業界は違えど、人事領域に携わるという軸はぶらしていないと考えます。そして今回の講義をうけ、私が尊敬している人から以前もらったアドバイスを思い出しました。「一流のエキスパートというのは、1つの武器を持ちながらも、それ以外のことについても見識がひろい人物のことをいう。それしか知らない・できない専門バカとは天と地ほども違う」。その通りであると考え、私がMBAコースで学ぶ理由もそれです。人事領域しかしらない人事バカになるのではなく、人事という誰にも負けない一芸を持ちながらも、マーケティングや財務等についても幅広い知識を身につける。そうでなければ今後ビジネスの世界で生き残っていくことはできないという危機感を抱えている。だからこそ、MBAコースで今学んでいるのです。そしてやがては、「あいつは本物の人事のプロ。そして経営全般についても造形が深い」と称される存在になることを目標に、近い目標に設定しました。講義で人物伝を学び、過去の忘れていたこと、現在の自分の思い、そして将来の目標を整理することができるようになりました。毎日を漠然と過ごしていたら絶対にできないことです。改めてありがとうございます。「高い志を貫徹する男」と周囲から称されるようになるよう、今後も精進を続けていく所存であります。立志人物伝の講義では非常に多くの刺激をいただいております。次回以降もよろしくお願い申し上げます。
 

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 以下、外国人留学生。

・今日の授業は志をテーマとして、棋士達と偉人の方々の名言や人生のリアリティを感じられました。今日の授業に通って、一番響く言葉が下記です。「努力は裏切らない」という言葉があるけれど、これが真実だ。ただし、[長い目で見ると]という一言が言葉の裏に潜んでいることを知っておかねばならない。成功にたどり着くものは努力があったからこそだという事は知っていますが、やり続けて、根拠強く持続することはもっと大事だっと、瀬川晶司はそう仰っしゃりました。恥ずかしいですが、私は締切に迫られ、目標に精一杯向かうものです。しかし、結局時間厳守を守れないことになりました。それを改善するために、今はもっと前向きの姿勢で行動するけど、これからは長期の目標を実現するために力を注がなければいけないと思います。一方、先生からの質問で、「長い目」って一体どれくらいの長さでいいのですかについて、それは熱意と工夫と共鳴できる友達同士の支えのかけ算です。一人でダメそうな時に助けを求めたり、最初の熱意を思い出したりすれば、努力もきっと長く続けると思います。これは授業に通って勉強になった事です。ありがとうございました。

・持続する志とは彼らのように一つのことに生涯をかけて打ち込み続けることである。牧野富太郎は草木の精である。子供のころから植物に関心を持ち、大人になったのちも妻による経済的支援の中植物についての研究をつづけた。牧野にとって植物の研究に没頭するようになったきっかけの本草綱目啓蒙の元は中国の本草綱目だ。本草綱目の元は中国の本草綱目だ。本草綱目は李時珍によって明の時代に書かれた。李時珍は中国で药圣と呼ばれており、李時珍の家族も薬に関係した仕事をしており、父は宮廷につかえる先生であった。そうしたこともあり、李時珍は宮廷の試験を受け先生となった。宮廷では様々な薬草を検閲しており、これが本草綱目の基礎となった。この仕事を辞めたのち、薬草を検閲するための旅に出た。当時61歳で27年を経て本草綱目の初稿を完成させた。そののち10年間で3度の修正を経て完成させた。本草綱目を完全に完成させるまでに40年かかった。李時珍は家族の影響で生涯薬学に専念した。本草綱目は中国薬学の発展に大きく貢献しただけでなく、世界の医学、植物学、動物学、鉱物学、化学の発展に大きな影響を与えた。李時珍は彼の実家の湖北省蘄春県に記念墓地が建てられている。是非行ってみることを勧める。

・本日のテーマは持続する志です。授業に出てきました人物の共通点は持続的な志を持っていることです。失敗しても心が折れない、やり続けることが成功の秘訣と感じました。植物学者の牧野富太郎は自分の生涯において標本を60万点を採集し、新変種を1500種以上を発見し、日本植物名を命名しました。日本植物分類の基礎を独学で築きました。牧野富太郎のように、一つの目標を決めたら、自分の生涯をかけて、続いて研究し最後までやり遂げることがすごいと感じました。自分は志を持っているが、持続する力が足りないことなのだと感じました。授業中に将棋棋士の名言の映像も流してくれました。山崎隆之棋士がおっしゃっていた「真剣な思考は前進を生み、深刻な思考は停滞を招く」という言葉が心に残っています。真剣な思考は自分が何かを始めようと思う時、本当にやりたいことは何か、自分に向いているかなどを考えることです。一方、自分が何かを間違っていた時に、自分はダメ人間とか考えてしまったのは深刻な思考なのだと思います。考えれば考えるほど、出口が見つからないし、悲観的な気分に陥ってしまいました。その時に、深刻な思考を抑制し、折れない心で楽観的に考えることが大事だと思います。羽仁もと子は日本で女性初のジャーナリスト、自由学園創立者、また家計簿を作った人です。段取りを整えることが如何に気持ちに潤いができるかがわかりました。効率よく仕事を進めす手段とは段取り力を身につけることを勉強しました。段取り上手な人になりますように頑張ります。本日はありがとうございました。

・今回の講義は「持続する志」について、偉人のことを勉強しました。様々な将棋名人から、いろんな名言を習得しました。例えば、「大切なのは『年齢』ではなく、『熱情』。それさえ失わなければ、きっと、何歳になっても新しい発見があり続けるに違いない」や「努力は裏切らない」、「前進出来ない駒はないんだ」など。中国語から通訳する「死にまで持続して勉強しなければならない」という言葉とある程度には同じ意味です。向上心を持って、一生に新たな自分を発見します。偉人・有名人・成功者達には共通点があります。それは、多くの失敗を繰り返し、辛く苦しい思いを何度も経験してきたということです。今の生活が辛く苦しいと感じる事はありますか?あるいはとんでもない大失敗をしてしまった事はありますか?もしそんな経験があるなら大いに喜ぶがいいです。何故なら、それは成功者への道を順調に進んでいる証拠だからです。

・今日は「持続する志」を持った偉人について学びました。興味があること又はやりたいことを最後までやる人は本当に偉くて、心から尊敬します。人生の目的を明確であっても、色々苦労したり、失敗したり、落ち込んだりする時もきっとあったと思います。しかし、あきらめず長く続けることは言葉でうまく説明できないぐらいの素晴らしさだと思います。特に先生が紹介してくれた人物の中で感動したのは牧野富太郎です。彼は「日本の植物学の父」といわれ、若い時からなくなるまでずっと植物学を研究していましたが、なんと全ては独学でした。やはり、情熱さえあれば、何でもできることを教えてくれました。あと、市川房枝も素晴らしい方でした。自分のためだけ戦うことではなくて、日本の女性たちが男性と同じ権利や平等な状態になるため努力してきて、感謝します。私も早くやりたいことを見つけて、一生懸命頑張りたいです。

・成功するには、生まれもった才能よりも、努力を持続的に続けるのが大事だと思われました。しかし、志を立てるのが簡単ですが、それを持続させるのことは難しい。私はなかなか持続できないタイプですが、多分情熱を注げるものが見つからないからです。これから、色々勉強して、世界を体験して、熱情あるものを探して、松尾孝みたいに「生涯一人一研究」ができればいいなと思います。そして、「着眼大局 着手小局」という言葉を勉強しました。私はこれがまさに禅のような言葉だと思っています。偉人達が物事を長い目で見るこそ、小さなことから実践するこそ、偉人になったではないでしょうか。

・今日の授業は「持続する志」のテーマでした。「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎の生涯に多数の新種を発見しました。又、将棋の才能の大山康晴は「私は、小学校時代から将棋の師につき、木見門に入り、永世名人になって百二十四回の優勝をかさねてきた。そのためには自分なりに努力をしたつもりだが、ひとつには運に恵まれていたと感謝する。ことに軍隊では幸運をつかんでいなければ、沖縄戦に参加して、おそらくは生きて帰れなかっただろう」と言った。成功するために、才能よりも努力を持続するのが大切な事だと思います。今日の授業に偉い名物のおかげで、自分ことについてよく分かったので、尊敬して、感謝したいと思います。ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

・講義に牧野富太郎のことを勉強になりました。彼は小学校2年で中退、植物の採集などをして過ごし、家の資産を植物研究に全て注ぎました。東京大学理学部植物学教室へ出入りし、助手、非常勤講師を歴任。しかし、学歴のないことなどから他の研究員たちからは冷遇されました。それでも、彼は志を持って、苦しいながらも、妻の助けで研究を続けていきました。ついに、採集や雑誌の発刊など成果をあげて、50歳の時に大学講師となります。講師を辞任後も「牧野日本植物図鑑」、「植物記」、「続植物記」、「牧野植物随筆」など著書を数々残す。日本人は彼のことを日本の植物学の父と呼ばれました。たくさんの人は仕事やチャレンジなどのことを始めた時に、希望に胸膨らませ、キラキラした瞳で飛び込んできます。ところが、チャレンジや難しいこと長く続けると、やはり多くの人は短い間に夢を諦めて辞めてしまいます。持続する志は成功するために、どんな時代でも、どんな状況でも重要なことだと思います。

・先生、本日の講義非常に面白がった、ありがとうございます!まずざまざま記念館行って実践経験を共有して教えてくれて柏谷さんと李妍さんに感謝しておきます。そして、皆さんに名人記念館行く前に、できればこのgroup で予定と日程をupを願うと呼びかけたいです、外国人留学生の私は日本の有名人記念館に訪って行きたいが、場所と日本歴史に詳しくない。そうなったら納得的な勉強になれると思う。本日先生から紹介のあった大人物達は成功の模範である。保値次さんの「夢を見、夢を追い、夢を食う」。「夢を見」について、個人的に興味深かったのは、「大切なのは年齢ではなくて情熱を続けて」、目標方向を決めたて、情熱を込めて、本気を投入して、人生はいつでも遅くならないと思う、今日先生が紹介してくれた白川静は74歳で初めての賞から94歳(没っしあた前年)まで受賞記録を絶えず更新する、だから、かつての私は、年を取って、生計を立てて、結婚の大事さを口実にして、自分が挿絵を学ぶことをあきらめていたが現今で見ればどれほど愚かだな!又は、「夢を追い」と言えば棋士の名言「もし僕に才能あったら、折れない心だけなんだろ、」はまさにこの言葉の写照である。夢の実現の途中には、環境変換による消極的な影響がある、挫折に直面せず、立ち上がらず、簡単に諦めてしまい、中途半端の私は逃げ犬と区別がつかないと思う、今回の持続志の講座から、原敬首相が暗殺されたという脅威に対しても、右派の旧勢力との闘うことは命を奪取されたまでに日本の新たな政治を堅持した事件に感動している、大人物は夢の追求に命をかけて保護することができる。挫折して、倒れて立ち上がれない。失敗と成功と言えば瞬間の念願の差じないかな?最後、「夢を食う」について、夢を実現する為には手段的な事である。今日の授業で、私の気になるのは「一方堅ければ、他方に弱点ができるものです」という名棋士の名言である、それは私なりの人が人生の中で、勉強しても、ゲームにしても、仕事にしてもこの言葉は私にとって非常に重要な座右の銘になる、すなわち、ライバルに対する姿勢を示して、勝ちたいばかりの欲念を持って強くて攻めて、寧ろ、心を静かになっると柔軟な姿勢を迂回すると相手の弱点を捕まって、勝ちになれると思う大人物の志を習うのは面白いです。単なる知識の習得だけに留まらず、ますます日本の歴史を好きになってきた。加えて、日本人と一緒にgroup でdiscussions して、勉強になる、今日の持続な志についての講座では、自分の過去の人生を客観的にみることができた。

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 多摩キャンパスの研究室で通信教育のテキスト作成プロジェクトの会合。

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 「名言との対話」11月2日。杉本文雄「ええ音やないか!」

橋本 文雄(はしもと ふみお、1928年3月14日 - 2012年11月2日)は、日本録音技師である。

マキノ雅弘川島雄三井上梅次中平康今村昌平舛田利雄蔵原惟繕らの監督映画作品を次々に手がけ、「日活の音」の礎をつくったとされる人 。 西河克己監督の『生きとし生けるもの』がデビュー作となった。日活アクション、日活ロマンポルノなど、 映画録音担当作品は計274本。私が見た作品は、『にゃんちゃん』『太平洋ひとりぼっち』『敦煌』など。

日本映画の半世紀の「音」を支えつづけた録音技師の第一人者であり、音の魔法使いだった。橋本は、旅と日常生活でこつこつ集めた膨大な音のサンプルを蓄積していた。その技術の高さは、 毎日映画コンクール録音賞を5回受賞、日本アカデミー最優秀録音賞3回、優秀録音賞9回、日本映画・テレビ技術協会日本映画技術賞3回。文化庁映画賞受賞などにあらわれている。

 「録音の仕事はセリフ、音楽、効果音、アクションイズが合わさったすべての「音を設計する」事や」「映画の録音は「画にあった音を録る」というのが基本なんだ」「生きた音を録れ」「音の山場はその映画の山場」「台本の読める録音技師になれ」、、。

「画」にかかわる撮・照・美スタッフの後陣に構えるスタイルであり、現場で新人俳優に活を入れるなど、監督たちからも一目置かれていた。育てた錚々たる録音技師たちは、「橋本一家」と呼ばれる。「皆が育ってくれて、映画界の第一線で活躍している事が一番嬉しい事やな」と語っているように、映画界には人材育成面でも大きく貢献している。

俳優の科白と生活音、自然音が渾然一体となった「音宇宙」の創造者であった橋本文雄は、 1996年(平成8年)、映画批評家上野昂志との共著『ええ音やないか - 橋本文雄・録音技師一代』を上梓している。「やたらめったら面白くて、結局最初から最後まで読みとおしてしまった」とブログ書いている人もいた。名著なのだろう。

映画における「音」というジャンルを突きつめた人生がここにある。今後は、映画やテレビドラマなどをみるときには、「画」だけでなく、「音」にも注目しよう。