「多摩祭」:「私の志」小論文・スピーチコンテストは10回目。古本市も人気。

「多摩祭」 。

「私の志」小論文・スピーチコンテストも、もう10回目。

着任直後に「現代の志塾」を教育理念にすることを提案した。その後、入試課の若い職員から「小論文コンテスト」の提案を受けて、始めたイベントだから、私も思い入れがある。始まった頃は責任者として関わったが、昨年から再度、実行委員長になっている。今回の役目は、表彰状を読み上げ渡すことだけだが、個人的には感慨があった。

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 T-Studioの一階では飯田ゼミの「古本市」が開かれている。

私の研究室から出した本も中央にのテーブルに出ている。

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そういえば、「現代の志塾」「多摩祭」「T-Studio」「小論文コンテスト」の命名は私だったなあ。

入試対応でアゴラにいた樋口先生と懇談。

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 「名言との対話」11月3日。桂小金治「「一念発起は誰でもする。努力までならみんなする。そこから一歩抜き出るためには、努力の上に辛抱という棒を立てろ。この棒に花が咲く

2代目桂 小金治(かつら こきんじ、1926年10月6日 - 2014年11月3日)は、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)出身の落語家俳優タレント

次代の名人候補として将来を嘱望されたが、川島雄三監督の要請で映画俳優に転身。昭和中期から映画テレビドラマバラエティ番組に数多く出演し、ことにワイドショーの名司会者として名を馳せた。川島雄三は師匠の小文治に「良い噺家を一人ダメにします。お許しください」と手をついたという逸話がある。

1966年から7年続いたワイドショー「アフタヌーンショー」では、政界、業界など巷に氾濫する不正、悪徳を許さない姿勢で、「怒りの小金治」の異名をとる。1975年から始まったテレビ番組「それは秘密です」で、18年続いたご対面コーナーで感動のあまり涙をよく流すので、「泣きの小金治」といわれた。親しみやすい人柄で、茶の間の人気者だった。

桂小金治の『江戸っ子の教訓』を読むと、「おやじ」の言葉がしょっちゅう出てくる。おやじがつらい修行のなかで、身につけた人生訓。それが自分の人生の支えになっていると語っている。

「いやだなと思った方へいけ。そうすりゃ、人生、苦労は少なくてすむんだ。」「用事を言いつけられてから仕事をするやつは半人前。自分で仕事を見つけて動けるやつが一人前。」「勇気というのは、自分を抑えるためのものだよ。」「一歩抜きん出るためには、努力の上の辛抱という棒を立てる。この棒に花が咲くんだよ。」「いいことがあったら人のおかげ。悪いときは自分のせい、そう思え。」「ほしいものがあったら、自分で作れ。自分で作れないものは諦めろ。」「人に負けるより、自分に負けるときに悔しがれ。自分に負けるな。」「辛抱という字は「立つ木を抱く」と書くんだよ。立っている木に黙ってしがみついていることだ。これが辛抱なんだ。」「足を丈夫に鍛えておくと人間は長生きをする。病気をしないですむ。」「いつでもニコニコ笑っていろよ。笑顔をがある人のそばには人が寄って来る。」「人と会ったときにはいやな噺をするな。いつでも明るい話をしなさい。」「年を取ることは楽しいことなんだ。、、老いるということは美しいことななんだ。」

小金治のおやじは、下町に住む魚屋の江戸っ子だ。そのおやじが折に触れて伝える人生訓は素晴らしい。江戸っ子の精神が脈々と子孫に注がれた小金治の人格はおやじと本人が一体になっている感じがする。冒頭に掲げた「辛抱」についても、おやじの言葉であり、また子の小金治の言葉でもある。おやじは明治生まれだろう。私お師匠・野田一夫先生も「人と比べるな、過去の自分と比べよ」など、明治生まれのおやじの言葉をよく説明してくれた。その名言が弟子の私たちにも強い印象を与える。私たちの世代は、そういう箴言を次世代に語ってきたか?

 

江戸っ子の教訓

江戸っ子の教訓