中川大地『現代ゲーム全史』(早川書房)と落合陽一『デジタルネイチャー』(PLANETS) を読み始めた。

日本未来学会で中川大地さんから紹介された2冊の本を読み始めた。

中川大地『現代ゲーム全史』(早川書房

現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

 

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落合陽一『デジタルネイチャー』(PLANETS) 

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

 

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「名言との対話」11月4日。隆慶一郎「歴史家に負けていてたまるか」

隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年9月30日 - 1989年11月4日)は、日本脚本家時代小説作家。本名は池田 一朗(いけだ いちろう)。本名で脚本隆慶一郎ペンネームで小説を執筆していた。

東大在学中、辰野隆小林秀雄らに師事する。同年、東京創元社に入社。東宝、日活などの映画の脚本を書き、1959年、映画「にあんちゃん」でシナリオ作家協会賞を受賞した。テレビドラマ「荒野の素浪人」(1974年)などの脚本を手がけた。作家デビューは1984年の「吉原御免状」。「影武者徳川家康」「捨て童子・松平忠輝」などを次々と発表するが、1989年死去。同年、柴田錬三郎賞を受賞した。

戦後日本のテレビドラマ史においても1970年代まで日本を代表する脚本家の一人だった。隆慶一郎というペンネームは、姓名判断をやる浅草田原町の「十兵衛」という串揚げ屋のおかみ・久我歌子からもらったものだ。隆は恩師・辰野隆先生の隆、名前は三文字がいいと思っていたからすぐに使った。小林秀雄が怖く、隆慶一郎を名乗って小説を書き始めたのは、還暦を過ぎてからと遅く、小説家としては実働はわずか5年だった。

代表作の『影武者徳川家康』。徳川家康は本当は関ヶ原で死んでいた。家康の影武者であった世良田二郎三郎が、徳川家繁栄のために豊臣秀頼を謀殺しようとする秀忠に対抗するべく、甲斐の忍びの六郎や島左近風魔忍者衆を味方につけて、歴史の暗部で戦うという奇想天外のストーリーで、興奮して読んだことがある。

民俗学の視点から農業中心史観を批判して「無縁」の人びとを歴史の主役とする網野善彦の史観に影響を受けている。「渡り」の庶民、具体的には、海人、舟人ら漁業の担い手、山を旅する木地師・金堀り・鍛冶、土地をもたぬ非農民などの視点から歴史小説の世界に新境地を拓いた。司馬遼太郎が「ライバルがあらわれた」と語っていたという。

花火がすきで、向島のマンションの10階に移り住む。テレビドラマで一緒に仕事をした俳優らを思い浮かべながら酒を汲む。一瞬に咲く華麗な花火に賭け、早逝した戦士たちの鎮魂をする。また妻に自分の人生は間違いじゃなかったと思わせるものは、亭主である自分が、俺の人生は間違いじゃなかったと言えることしか無いとも、エッセイ『歴史小説の愉しみ』で語っていて共感を覚える。

 

歴史史料を読み漁りながら、知られざる些細な史実、さりげない言葉に秘められた目くるめくような美しさに感動する隆慶一郎は、「志を立て、それに殉じた。その誇りだけが烈々と私たちに訴えかけて来る。その志について、その誇りについて、解明する義務を持つのは、生きている私たちの方ではないか」と小説を書く自らの志を吐露している。隆慶一郎は、歴史家をライバルとして壮大な人間ドラマを描こうとしたのだが、完結する前に寿命が尽きしてしまった。この人に長寿が授かっていたら、歴史小説の世界の風景も変わっていただろう。

時代小説の愉しみ (講談社文庫)

時代小説の愉しみ (講談社文庫)