ゴルフ。夕食会。オリンピック選手らと懇親。

f:id:k-hisatune:20181110222345j:image周防灘カントリークラブにてクラス会でゴルフ。 

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夕食会のあと、二次会。

オリンピックデイ・ランで、中津に見えていたチームと合流。

 水泳、バイアスロンウエイトリフティングのオリンピック選手らと懇親。

現役では、重量挙げの三宅宏実さんがいて、いろいろ話ができた。

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以下、書きかけ。 

「名言との対話」11月9日。はらたいらはらたいらさんに3000点!」

 
   
   
   
   
   
   
   
 

はら たいら(本名:原 平1943年3月8日 - 2006年11月10日)は、日本の男性漫画家随筆家タレント

高知県の高校在学中からナンセンス漫画の才能を発揮していた。上京後は作品を出版社に持ち込んでは断られる生活が続く。1963年、『週刊漫画TIMES』(芳文社)の連載『新宿B・B(ベベ)』でデビュー1964年結婚。1972年週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。その後、1980年 サンケイ新聞の『ルートさん』、1988年 北海道新聞中日新聞東京新聞)、西日本新聞の各夕刊連載の『セロりん』、1981年 - 1983年,1989年 - 1990年 日本経済新聞連載の『ゲンペーくん』、沖縄タイムスの『グルくん』、公明新聞の『ポッコちゃん』、京都新聞の『パトロールのパトさん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』、朝日小学生新聞の『日記ちゃん』など、数多くの新聞漫画を手がける。

はらたいらを有名にしたのがテレビの視聴者参加のクイズ番組クイズダービー」(大橋巨泉が司会)だ。1977年1月22日~1992年6月27日までの長期間にわたりレギュラー出演する。7割4分7厘という驚異的な正解率で、連続正解は27連勝(2度達成)で、同番組では歴代1位の連勝記録だ。いつもテレビで感心していた記憶がある。その淡々とした姿は宇宙人と呼ばれていた。

1992年秋口から、更年期障害による眩暈や集中力低下を訴え連載を減らし、闘病生活に入る。一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。はらたいらのおかげで男性にも更年期が存在することが知れ渡った。また経験を生かし晩年は男性更年期障害の講演も行っている。

医師の忠告を無視して酒を飲み続けた末の63歳の死について本人は「不服はない。本望だ」と言っていたという。戒名は曼照院智徳道晃居士。

故郷に程近い高知県南国市の「はらたいらと世界のオルゴールの館」では原画を含め作品を鑑賞することができたが、2004年12月30日閉館している。

クイズダービーでは、参加者がはらたいらさんに3000点!」と大勝負を賭けるのが名物ともなった。全国的にはらたいらは頭が良く勘もいい人という常識になったのだが、意外なことに、漫画それ自体を読んでいた人は多くはなかったのではないだろうか。本業においてあらゆる分野の情報に目配りをしていた結果、偶然の経緯で副業で名を成したのであろう。やはり漫画家は勉強家でなくてはつとまらないようだ。