ジャーナリストと政治家。

「名言との対話」11月13日。田英夫「ジャーナリストとして政治に参加します」

 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
   
   
   
 
   
 

田 英夫(でん ひでお、1923年大正12年)6月9日 - 2009年平成21年)11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家である。

祖父は台湾総督をつとめた田健治郎。田英夫はで海軍に入り特攻隊で出撃前に終戦を迎える。私の父と同い年だ。東大卒業後、共同通信に入り、社会部超、文化部長。その後、1962年から1968年までTBSの「JNNニュースコープ」の初代キャスターとして活躍する。歯切れのよい解説で国民的人気があった。ベトナム戦争報道で自民党からクレームがあり、降板する。

マスコミの現場「反対、反対」と言っているだけでは不十分だ、直接に政治の世界で働こうと、1971年に社会党から参議院選挙に立候補し、192万票の全国区最高票で当選する。社会民主的立場から党改革にあたるが、最終的に離党、除名され、社会民主連合を結成し代表となる。後に社会民主党に入党。

「ジャーナリストとして政治に参加します」というスローガンは国民の支持を得て政界に出たが、この田英夫の志は達成されたのだろうか。私が高校生の頃、外国人たちと懇談した時に、「君は将来何になるのか」と問われたことがある。「ジャーナリストかローヤー(法律家)だ」と答えたところ、それは矛盾しているとの反応があった。帰って父に報告すると、鋭い答えだなあと語っていたことを思い出した。批判する立場のジャーナリスと保守の法律家とは反対の側にある、という解説だった。弁護士という英語を知らなかったためだったが、貴重な教訓を得た。職業には「気質」というものが関係しているのではないか。近年、ジャーナリストから政治の世界に入って成功した例を見ないのはそれが理由かもしれない。

 

こちら現場―田英夫の国会・緊急発信

こちら現場―田英夫の国会・緊急発信