リレー講座をライブヴューイングでみる。講師はNHK の大越健介さん。テーマは「壁の正体」。

キャンパスで開催されたリレー講座を、ライブヴューイングで、湘南キャンパスと九段サテライトで聞くスタイルを始めている。

本日の講座は、多摩キャンパスでは一般299名・学生125名、湘南キャンパスでは一般30名・学生16名、九段サテライトでは一般76名が受講。 

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本日はグローバルスタディーズ学部での会議の前に、この講座を視聴。

講師はNHK大越健介さん。テーマは「壁の正体」。

 ・ジャーナリストは、一人の人間と真正面から向きあい、その人の生き様を突破口として、国、民族、世界のことを考えたことを人々に知らせていくのが仕事である。

・大きな言葉・大な主語(日本、国、国際社会、、)で語らないようにしている。「3・11で2万人が死亡」という言い方では真実は見えない。

稀勢の里の休場、ハラハラを乗り越えていく姿。大谷翔平のドキュメント、野球のみの生活、大したものだ。

・壁1「北朝鮮」:韓国の脱北者。マレーシアでの兄の殺人による反北朝鮮ムード。アメリカの冷静な分析。ロシアのウラジオストックでの北の労働者のまじめさによる友好ムード。壁の鍵穴から覗き実相に迫る。

・壁2「メキシコ」:中米(ホンジュラスエルサルバドル、、)からの移民希望者の大行進が本日国境に到着。人間の想像力に訴える。無数のストーリーがある。材料を提供する。

壁3「ヨーロッパ」:2度の世界大戦で傷つき「EU」という壮大な実験を始めた。移民・難民で揺れている。自国第一主義、反EU、反共存共栄。オランダ、フランス、ポーランド、英国、、。日本人は本当にかんがえているのだろうか。

壁4「台湾」:日本人大好きな台湾人。大陸の壁。

壁5「外国人労働者」:人手不足。心の準備はできているか。世界への貢献も。平和ボケ。

生身の人間が体現しているものを大切にする。

2020年のオリパラはチャンス。日本が世界をみる。世界が日本をみる。スポーツキャスターになった。日曜日21時からの「サンデースポーツ2020」。少しでも良い方向に変えていきたい。一人一人の人生をリスペクト。想像の翼。当事者として向き合う。

(ミクロの視点。リベラル。中国旅行。実際よりライブヴューイングの方がいい?表情がよくわかる、、、)

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安田学部長と懇談:人事。

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グローバルスタディーズ学部の学部運営委員会にオブザーバー出席。

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終了後、弟と焼き鳥屋で飲む。

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「名言との対話」11月14日。孫 基禎(ソンギジョン)「これからは二度と日章旗の下では走るまい」

孫 基禎(そん きてい、ソン・ギジョン、1912年8月29日 - 2002年11月15日)は、新義州出身のマラソン選手。

1936年。日本では斎藤実内大臣高橋是清蔵相が暗殺された2・26事件が起こり、ファシズムの影が色濃くなっていく。同年のベルリンオリンピックは、ナチスオリンピックとも呼ばれた。そのマラソン孫基禎2時間29分19秒 で優勝し日本にマラソン初の金メダルをもたらした。胸に日の丸をつけて走ったが、彼は日本人ではなかった。日本が植民地として統治支配していた朝鮮人だった。

「マラソンは練習も試合も一人だ。苦しいのは自分だけだよ。だから勝てば、練習で苦しかった分だけ喜びも大きい」と語っていた。その生涯最高の歓喜の瞬間に、孫基禎夢心地から我に返ったのは表彰台に立った時だ。国がない絶望感に襲われたのである。「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることは耐えられない」。オリンピック記録映画「民族の祭典」では、表彰台ではうつむいたままであった。後で撮りなおした映像では、ゼッケンを裏返しに着て走っている。

優勝から16日目には『東亜日報』による日章旗抹消事件が起こる。孫基禎の胸にある日の丸を消して新聞を発行したのだ。これが南次郎朝鮮総督の逆鱗に触れ、記者が芋づる式に連行され拷問を受けた。そして新聞は無期限刊行停止処分にあう。この事件は韓国の小学校の国語教科書にあり、知らぬ人はない。

1940年、「再び陸上をやらない」という条件で入学した明治大学法科専門部を卒業。1947年、ボストンマラソン監督として教え子が優勝。1950年のボストンマラソンの監督として、1位、2位、3位を独占し、奇跡的大勝利をあげた。1948年のロンドンオリンピック1952年ヘルシンキオリンピックでは韓国選手団の総監督をつとめる。

1984年、ロサンゼルスオリンピック聖火ランナーとして、市内のコリア・タウンを走る。そして、1988年には、大韓陸上競技連盟会長にも就任し、76歳の孫基禎は母国で開催されたソウルオリンピック開会式では聖火をスタジアムに持って登場し、世界に感動を与えた。

2002年11月、孫基禎は、90歳で人生マラソンのゴールを迎えた。1936年当時、表彰台上の24歳の孫の手の中にあった月桂樹の苗木は、今では堂々たる大木となっている。孫 基禎の栄光と苦難の人生の軌跡によって、日本と朝鮮との歪んだ近代史の本質を垣間見ることができる。